« №41 バンパイン宮殿 | Main | №43 古都アユタヤ »

May 29, 2005

№42 アユタヤの日本人町の跡

その3

 アユタヤの街のほど近くに、それはありました。「日本人町跡」は、アユタヤに向かう道路に面して、きれいに整備された公園になっています。当時を偲ばせるものはほとんどなく、 「アユチア日本人の町の跡」の石碑があるだけで、この碑がなければここが「日本人町跡」とは分かりません。思い入れがあっただけに、ちょっと拍子抜けした感じです。

  公園の入り口にある石碑
03032512

 アユタヤの日本人町は、歴史の授業で習った山田長政が居たところです。こんなに日本から離れた異国の地に、徳川時代の1600年代の前半には、1500人以上の日本人が住んでいたといいます。
 後朱印船貿易で栄えたこの町の首領が、山田長政でした。彼は当時のアユタヤ王朝の王に仕え、傭兵隊長からついには地方長官の職にまで就きます。最後は、王位継承のトラブルに巻き込まれ、毒殺されたという話です。後朱印船貿易が鎖国令によって終わるとともに、日本人町も消えたということです。

 敷地内の奥には、チャオプラヤー川の支流が流れています。今では、その緩やかな流れを見ながら往時の賑わいに想いを馳せるのみです。

 つづく

|

« №41 バンパイン宮殿 | Main | №43 古都アユタヤ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/84814/4321581

Listed below are links to weblogs that reference №42 アユタヤの日本人町の跡:

« №41 バンパイン宮殿 | Main | №43 古都アユタヤ »