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October 16, 2005

№180 島原から原城址

    原城址から雲仙を望む
20051007_dscf0055

その3 
 雲仙から有明海側へ下ると島原の町です。雲仙からの湧水が各所から湧き出す水の豊かな町でもあります。原は松平7万石の城下町として栄え、市の中心に五層の天守閣を持つ島原城があります。城の西側に武家屋敷跡の街並みや石垣が残っているので散策することにしました。

 島原城の築城のとき、外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住宅団地が建設されました。
戦いのときには鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったので、鉄砲町とも呼ばれています。
街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。
 一屋敷は三畝(90坪・約300m2)ずつに区切られ、住居は25坪ほどの藁葺き、屋敷内には藩命で梅・柿・蜜柑類・枇杷などの果樹を植えさせ、
四季の果物は自給できるようになっていました。また屋根の葺き替えに使う真竹の藪を持った家もありました。(島原市のHPより引用)

 300mほど続く屋敷街の道路の真ん中に湧水を引いた水路と、その両側の砂地の道路にきれいに積み上げられた石垣が、街並みを特徴づけています。水路の水は清冽で、昔もそうだっただろうように勢いよく流れています。屋敷3軒が公開されていて、当時の武士の生活を窺い知ることができます。

 島原を後にして、島原半島の最南端、口之津港をめざして走ります。その途中で「島原の乱」で有名な原城址に寄ります。 1637年、天草四郎時貞を総大将に島原・天草の農民が一揆を起こし、ここ原城に27000人が立て籠もりました。 翌年の2月28日、幕府軍12万以上の総攻撃により落城し、婦女子も含め全員命を落としてしました。
  
 有明海に突き出した岬に築城された原城は、三方を海に囲まれた天然の要害であったといいます。 今、天守閣跡に立つと、穏やかな秋の有明海を望み、周囲は畑になっていて収穫を終え枯れ草を焼く煙がゆっくりとたなびき、のどかで平和な秋の風景が広がっているだけです。所々に残る石垣が、ようやくそこが城であったことを気づかせるくらいです。 遠くに見える平成新山がなければ、江戸時代初期とそれほど景色が変わっていないような錯覚を覚えます。
 この平和な景色とは対照的に、この地で多くの血が流され、苛酷な年貢の取立てで厳しい時代があったことに思いを馳せる時、胸の奥の方で重い感情が固まってきます。

                合掌

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