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January 29, 2006

№282 養老孟司氏の「無思想」という思想

    チェンマイのプラ・シン仏
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 今年元旦の朝日新聞の養老孟司氏のインタビュー記事からです。
 「世界に乱立する壁の本質は何か」についての話で、歴史問題をめぐる日中関係を例にとってこのように答えています。

 つい先週、タクシーに乗ったんですよ。運転手さんが同僚の葬式に行った話をして、お坊さんがたまたま近くを通りかかったから、何の関係もなかったけど聞いたんだって。「死んだらどうなるんですかね」って。坊さん、こちらをぎっとにらんで一言、「死んだらおしめいよ」って言って、向こうにいっちゃった。 「あれはよくできた坊主だ」って言うんだね。
 印象的だったのは運転手の「できた坊主だ」ってコメントで、日本の庶民は、根本的にそう思っているんだよ。神も仏もないって。それは無宗教、無思想を意味しているんですよ。 「無思想」という思想。

 日本以外の国は基本的に全部、中国を含めて「有思想」なんです。思想がある社会は、歴史が現在に介入して当然。歴史は事実じゃなくて思想だから。「歴史はこうだった」というのは、明らかに思想なんです。
 だから靖国問題ひとつ取っても意見が合うわけがない。日本は「死んだら最後、関係ねえ」って社会なんだから。 そこから議論を始めないと、お互い通じるわけがない。

 違う考えがあるときに、180度対立する場面を取って「意見が違う」というのは、極めて非生産的なんです。
90度食い違うようにすればいいんですよ。
 外交でも本来こうあるべきなんですよ、90度ずらしながら自分を主張する。日中が政治問題でもめるなら、では環境問題を話し合おう、ってのが正しい。
 「違いを認めながらやっていく」ことが、一番うまくやる方法なんです。違いがあることが悪いことだって思っている人がいるでしょう。 仲良くするってことは、そういうことではないんですよ。

 「違いを認めながらやっていく」という捉え方は、個人に置き換えても参考になります。 たとえば海外でロングステイした場合でも、滞在する国の文化や習慣など、その違いを尊重することは大切なことです。 日本ではこうだとか、日本より不便だとか、ともすると日本を基準にしてものをいう傾向があります。
 しかし、滞在する国の違いを楽しむというか、「郷に入れば郷に従う」気持が必要だと思います。 不便なことを楽しむ、適切な表現ではないかもしれませんがその国との違いを面白がるような心の余裕があると、その滞在がより有意味なものとなるのではないでしょうか。決して日本の物差しを持ち込んではならないのです。

 異なるものとの壁は外から作られるのではなくて、自分の心の中から生じるものなのです。違いがあるからこそ面白いのです、そして心が躍るのです。 ここはひとつ滞在国のルールに従って“心の壁”を作らずに、のんびりと異文化に浸ろうではありませんか。 そこから新しい価値観が生まれてくるかもしれないのですから。

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