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February 16, 2006

№300 村上春樹の旅行記

アユタヤのワット・ヤイ・チャイ・モンコン
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その1
 村上春樹のアメリカの旅行記『やがて哀しき外国語』のあとがきからです。

 僕はこの本を書く前にも、旅行記のようなものを一度出したことがある。 『遠い太鼓』というのがそれで、僕はその本のなかで約三年に亘るヨーロッパ滞在についての文章を書いた。
 ずいぶん長くそこに滞在していたわけだが、結局のところは、通り過ぎていく旅行者の目でまわりの世界を眺めていたように思う。それがいいとか悪いとか言うのではない。通り過ぎる人には通り過ぎる人の視点があり、そこに腰を据えている人には腰をすえている人の視点がある。
 どちらにもメリットがあり、死角がある。かならずしも、第一印象でものを書くのが浅薄で、長く暮らしてじっくりものを見た人の視点が深く正しいということにはならない。 そこに根を下ろしているだけ、かえって見えないというというものだってある。

 どれだけ自分の視点と真剣に、あるいは柔軟にかかわりあえるか、それがこういう文章にとっていちばん重要な問題であると僕は思う。

 せっかく今度はアメリカという社会に一応「属して」生活しているのだから、何か新鮮なもの、目新しいものにぱっととびついてものを書くだけでなく、少し引いたところから時間をかけていろんなことを考えてみたかったのだ。

 さて、この文章からどのように感じられたでしょうか。
 旅行の場合は、もちろん通り過ぎていく人の目で訪問地を見ているでしょう。それに対して、移住や永住志向の人は、腰を据えている人の視点で眺めていることでしょう。 では、ロングステイしている人の視点はどちらなのでしょうか。

 わたしの場合、せいぜい10日間程度の滞在ですから、どうしても通り過ぎる人の視点になりがちです。 しかし、ロングステイの取材や調査が主な目的ですから、旅行者の目だけでは第一印象のものとなってしまします。 村上氏がいう“少し引いたところ”からインタビューをしたり、事実を見ようと心がけています。まあなかなか難しいのですが。
 ロングステイの場合でも、滞在地の文化や習慣を受け入れる柔軟性、そして自分なりの人生観や価値観に立った視点で、現地社会とかかわることが大切ではないかと、このあとがきから感じた次第です。
 
 つづく

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