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March 31, 2006

№341 なくてはならない空心菜炒め

    右上が「空心菜炒め」
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 タイ料理でも海鮮中華でも、必ず注文するのが「空心菜炒め」です。定番というより、なくてはならないメニューといった方がいいでしょう。「空心菜炒め」は、タイ語で「パックブン・ファイデーン」というそうです。

 空心菜は「ヨウサイ」ともいい、その中国語読みで「エンツァイ」、タイ語で「パック・ブン」として知っている方もいることでしょう。ヒルガオ科の野菜で、その名の通り茎がストローのように中空になっています。中国はじめタイ、マレーシアなど東南アジアではポピュラーな食材で、茎葉を炒め物にして食べます。日本のスーパーでも買えるようです。

 「空心菜炒め」は、空心菜の他に赤唐辛子、ニンニクのみじん切り、干しエビを加え、タイの液状の味噌「タオ・チオ」やナンプラー、オイスターソースなどで味付けします。しかし、なんといっても炎が出るような強火で手早く炒めるのがコツ。赤い炎が立ちのぼる様子を表すのが「ファイデーン」ということばです。
 シンプルな料理ですが、そのシャキシャキとした食感がたまりません。クセのない空心菜にオイスターソースなどの調味料がよくからんでいます。それにニンニクの風味や唐辛子の辛さが効いていて食べ飽きません。

 主役ではありませんが、辛味、酸味、甘味など個性的なタイ料理を引き締める“名脇役”、それが「空心菜炒め」といっても過言ではないでしょう。

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March 29, 2006

№340 朝のマーケット

 湯気をたてるサツマイモやかぼちゃ
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 すがすがしいチェンマイの朝の空気の中、散歩の帰りに通りがかったマーケットに立ち寄りました。ナイトバザールの近く、シーフードレストランなどが並ぶ一角にある小さなマーケットです。午後は閉まっていましたから、朝だけ開いているようです。

 野菜や旬のマンダリン・オレンジなどのフルーツを売る店をはじめ、魚や肉と一通りの食材が揃っています。朝食を食べさせる食堂もあって、小さいながらも近所の人たちとっては、便利な市場なのでしょう。
 入り口付近では、バナナの皮で包んだ食べ物を炭火で焼いています。朝食用なのでしょうか、男性がまとめて買っていきました。

 道路の反対側では、おばちゃんがゴザを敷きいろいろな野菜を並べて売っています。自分の家の畑で採れた野菜を売りに来ている農家のおばちゃんかもしれません。空心菜にサニーレタス、パクチー(香菜)などの葉物から、タイ独特の青いナス、そしてカリフラワーやカボチャなどの冬野菜もあります
 10バーツ(約30円)の値札が出ていますので、どの野菜もこの値段で売っているのでしょう。見た目は無骨なものもありますが、朝取りの新鮮野菜のようです。

 その隣では、小さな子どもを連れた母親が、蒸かしたサツマイモやかぼちゃを売る屋台を出しています。リヤカーには大きな蒸し器が3つ乗っていて、ざるの上には美味しそうに蒸しあがったサツマイモなどが並んでいます。
 暖かい蒸気が上がる光景は、いかにも冬の風物詩といった風情です。暑いイメージが強いタイでも、ミスマッチのようですが意外にもホカホカの蒸かし芋が似合うんですね。サツマイモは日本のものと比べると小ぶりですが、黄金色のかぼちゃはホクホクと美味しそうです。朝食を食べた後でなければ買ってみたのですが。

 マーケット内をよちよちと歩き回る防寒用の毛糸の帽子をかぶった子どもと、この蒸かしたかぼちゃを食べさせる母親。心和む母子の情景とマーケットの人々の営みに、子どもの頃の懐かしい日本の原風景を想い出しました。

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March 27, 2006

№339 暑期を迎えるタイへ

    キャセイ航空 香港にて
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 今日3月27日、バンコクへ出発します。4月3日まで8日間の滞在です。

 福岡は23日に桜が開花しました。満開の桜は見逃してしまいそうですが、タイの桜やゴールデンシャワーを見られるのではないかと期待しています。
 現地は連日約35度くらいまで上がっているようで、早くも暑期を思わせる気温です。今年は3月14日まで雪が舞いました。寒かったこの冬から、いきなりの猛暑ですから体調を崩さないようにしないといけません。

 今回は、キャセイパシフィック航空を利用します。福岡からは台北、香港経由になりますが、何といっても航空運賃の安さが魅力です。バンコク往復のエコノミー料金が39800円、これに空港税・燃料費のサーチャージなどが7000円近く加算されます。それでもタイ国際航空と比べると、約3万円ほど安いようです。これだけ違うとバンコクでのホテル代が賄えることになります。ただし、1ヶ月以上前に買う「早割りチケット」ですと5万円を切っています。

 ところで4月2日の総選挙のため、タイでは1・2日の2日間、お酒の提供が禁止になるそうです。レストランやバーだけ禁止されるのか、スーパーなどでも販売ができないのか、よく分かりませんが、前日までにビールを買っておかないといけませんね。

 ここ2回はチェンマイまで行き、忙しいスケジュールでした。しかし今度はバンコクだけですし、少しゆっくりしようと思います。これまで行ってないエリアを歩いてみたり、久しぶりにロングステイヤーの方にもお会いする予定です。
 ほんの少しですが、初めてタイ東北部のイサーンまで足を延ばす計画で、日帰りですがアンコールワット様式のピマーイ遺跡を見学するつもりです。
 
 作家村上春樹は「辺境・近境」という紀行文でこう書いています。
 僕は「あなたはどうしてメキシコに来たのか?」という問いかけに対して、「どうしてメキシコに来てはいけないのか」と逆に、あくまでイノセントに、問い返すことだってできる。どうして文言化可能な理由なり目的なりを持たずに人がメキシコを訪れてはいけないのですか?

 たとえば日本を旅行している外国人に向かって同じような質問をしたら(どうしてあなたは日本に来たのか?)、
たぶんいろんな種類の答えが返ってくるだろう。でも―もちろん何かしらやむをえない事情があってどうしても日本に来なくてはならなかったという人を別にすればだが―つまるところ、その答えはひとつしかないはずだ。彼らは自分の目でその場所を見て、自分の鼻と口でそこの空気を吸い込んで自分の足でその地面に立って、自分の手でそこにあるものを触りたかったのだ。
 わたしもタイの空気を吸い風に吹かれてこようと思います。たとえそれが熱気を帯び湿気を含んでいたとしても。

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March 26, 2006

№338 心地よいクルーズ

 チャオプラヤー川を行き交う貨物船
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 久しぶりのアユタヤへの日帰りツアー、帰りにはいつものチャオプラヤー川のクルーズ船のコースを選びました。
なんといっても、ゆったりと船に乗ると旅情を誘われるからです。
 アユタヤ観光を終えて、クルーズ船の乗り場へと向かいます。お寺の境内の先が桟橋になっていて、大きな3デッキの船が係留されています。これまで乗った中では一番大きなクルーズ船です。

 乗船して同じツアーのみなさんたちと1階のテーブル席に着き、ビュッフェスタイルの昼食です。早速トムヤムクンをはじめ数種類のタイ料理を取り、冷えたシンハビールで空腹を満たします。早朝の出発で空腹だったということもあるのですが、なかなかの味です。クルーズ会社によって料理の質に差があるようで、今回のランチはヒットということでしょう。
 食事をしている間にすでに船は桟橋を離れていて、ゆっくりとチャオプラヤー川を下り始めます。船内を見渡すと2階はヨーロッパ系の観光客で一杯になっていて、満席です。やはりクルーズ船は人気ですね。

 天気もよく船首のデッキに出てみます。少し霞んでいますが快晴です。しばしデッキチェアーに座りのんびりと景色を眺めます。川面をわたる風が気持ちよく、陽射しもそれほど気になりません。クリスマスの頃の陽射しは強くなく、ちょうどよい日光浴です。これが暑期だったらとても居られたものではありませんが。
 屋上のデッキにもランチを終えた乗客が三々五々やってきて、思い思いに日光浴を楽しんでいます。

 チャオプラヤー川の少し濁った流れが、あちこちに浮かんだ水藻を一緒に運んでいきます。そして、漁師の小船や幾艘か連なった砂利運搬船、そして船尾が住居になった貨物船などが、ゆっくりと航行していきます。
 岸辺には椰子の木々を背景にして、川にせり出すように水上家屋が建ち並び、女の人が川で洗濯をしています。しかし、さすがにこの時期には泳いでいる子どもの姿は見えません。
 そんな景色を見ているうちに、時間の流れがだんだんと遅くなっていくようです。

 バンコク市内に入ってくると川岸の緑は少なくなり、住宅や高層のマンションが増えて、田舎の風景から都会の風景へと変わっていきます。これまで全くなかった橋が現れ、いくつかの橋の下をくぐり抜けていくと、大きなエンジン音を響かせたエクスプレス・ボートや高速乗合船などと何度もすれ違います。
 いつの間にか時間がいつもの速さになり、だんだんと日常の世界に戻されていきます。

 左手に王宮、右手にワット・アルンが見えてきたら、まもなく3時間のクルーズも終わりです。西日を受けてオレンジ色に染まろうとするオリエンタル・ホテルを眺めながら、終点のリバーシティの桟橋に降り立ちます。 バスでは味わえない船の旅、何度乗ってもいいものです。

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March 25, 2006

№337 アジア発日本への手紙

ご本尊が破壊されたエラワン・プーム
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 3月20日の西日本新聞に載った、タイ・カオソド紙記者チュムチャン・チャムニプラサートさんの「対立とともに暮らす」というコラムです。

 もう5ヶ月以上も、タイの社会では激しい政治的な対立が続いている。異常な事態ではあるが、人々はだんだんとそれに慣れつつある。
 最近、タイの全テレビ局は、1992年の「5月事件」の際にタイの国王が首相と民主化指導者を呼び、収拾を指示されたときの資料映像を放映した。この映像の放映は、今回の政治的対立は前回の「5月事件」のように流血の惨事を招いてはならない、ということを示唆したとみられる。前回の事件の時、国王はこうおっしゃった。国民が血を流すようなことがあれば、そこには勝者はいない。敗者だけだ。そして最も悲惨な敗者は、国民すべてなのだと。

 今回の対立の構図は、92年の状況とは異なっている。前回は「軍と政治家」対「市民(政権によって権利を制限された中産階級)」の争いだった。今回の対立はかなり複雑だ。市民同士が対立しているのだ

 学者は次のように分析する。長い間にわたって現行の経済体制で利益を得てきた人々と、グローバリゼーションを好む新興勢力との対立が、背景にある。現政府は、経済機構を変革し、外部からより多くの競争相手を呼び入れる一方で、貧困層に手厚い新たな行政システムを造り上げた。それゆえに、貧困層の多くはタクシン首相を支持し、中産階級は首相を嫌う。学識者は賛否両論に分かれている。そしてタイの家庭にも亀裂が入っている。

 ABAC大学の最新の調査によると、タイではこの種の政治的問題(特にタクシン首相が辞めるべきかどうか)について、家庭内でも対立がある。このテーマについて家庭内で話していると、71.8%が対立的論争になってしまうという。そのうち感情的になって論争し続けるのが25%。もう論じるのを止めてしまうのが15.4%。手が出てしまい本当のけんかになってしまうのが10.1%いるそうだ。
 新聞の一面には、政治について話すうちに暴力ざたになってしまったニュースが掲載される。酒を飲んで議論するうちにけんかになり、相手を殺してしまったケースもあった。心理学者はこうした若い人々による事件を憂慮している。

 このため、多くの市民は現在の状況を心配しており、この対立はいつ終わるのかと言い合っている。それはまだわからない。タイの市民のできることは、前向きに考えながら、この対立とともに暮らしていくことである。
 おそらくこれは、タイの社会が流血の惨事なしに民主主義を発展させていくことができるか、というテストなのだ。アフガニスタンやイラクでの戦争以来、米国やヨーロッパの国民も、国民同士の間での対立を抱えながら暮らしている。タイの状況もそれと比較できるかもしれない。
 そう考えれば、今回の対立は、われわれタイの市民にとって、それほど悪いことではない。


 タイの新聞記者が書いた今回の政情混乱について記事です。タクシン首相の辞任の賛否について、タイ市民の間で対立が生まれています。株取引疑惑事件などの理由から国民全体から辞任要求が出ているわけではないことがよくわかります。
 今年はプミポン国王に在位60周年にあたり、記念式典も予定されているのです。民主主義の発展過程ともいっていますが、祝賀の年には平和に解決を図ってもらいたいものです。

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March 24, 2006

№336 ストリートチルドレンの施設 その2

   子どもたちが暮らす住居
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その2
 ストリートチルドレンの救済活動をしている現地のNGO「VGCD」について、インターネットで調べました。正式名は「The Volunteers Group for Children Developmnt」、タイ名でグリム・アーサー・パッターナー・デックといいます。
 1992年からチェンマイ繁華街でストリートチルドレンの救済のために活動を続けてきた「先生」と呼ばれる中心スタッフが、1997年にVGCDを立ち上げた。このNGO(非政府組織)の主な活動は、ライフスキルトレーニング(生きていくのに必要な力を養うトレーニング)やアートセラピー、麻薬、HIV/AIDS教育などで、子ども達の生活環境の向上のための活動を続けている。
 現在、VGCDはチェンマイ県にドロップインセンターとセーフハウス(子どもの家)、そしてチェンライ県にドロップインセンターとセーフハウス(子どもの家)の計4つの施設を運営している。そのうちのチェンマイ県にあるセーフハウス(子どもの家)を見学させていただいたわけです。

 VGCDの調査によると、チェンマイのストリートチルドレンは、主に少数山岳民族のアカ族の子どもたちです。子どもたちは、タイとミャンマーとの紛争や、生活の苦しさ、貧しさから逃れて仕事を探すために、ミャンマー国境を越えてタイ最北端の町メーサイからチェンマイなどの都市へ出て行くのです。
 都市では公園やバスターミナル、街なかの空き家、市場などで仲間と一緒に暮らしていることが多い。服は1~2ヶ月同じ物を着たままで、たまに公園や公衆トイレなどで洗濯するか、古着を拾ってきたり恵んでもらったりしています。

 ストリートチルドレンになる理由として、
・家が貧しいためにお金を稼がなくては生きていけない
・親が子どもの面倒を十分にみない
・家庭内暴力に耐え切れず家をでる
・親を亡くし孤児となった。引き取り手の親戚から虐待をうけた
・紛争などで生活の場を追いやられた などがあるそうです。

 このようなVGCDの救済活動に対して、在チェンマイの日本人の学生やボランティアが、週末「子どもの家」に出かけて支援活動をしています。また、大阪府箕面市の任意団体「カルナーの会」が、里親制度をはじめ「子どもの家」の運営支援を行っています。
 http://www.kdn.ne.jp/~karuna/

 さて、日本人シニアのロングステイ希望地として人気が高いチェンマイです。ナイトバザールを歩くと、花売りをする子どもたちの姿を目にすることもあるでしょう。華やかなロングステイの滞在地として注目される裏側には、もうひとつのチェンマイの現実もあるわけです。
 ゴルフをはじめ、いろいろな滞在目的があるでしょう。しかし、チェンマイに生活し現地社会に少なからずお世話になっているのですから、この現実を知って何らかの形で支援をする、そのようなロングステイがあってもいいのではないでしょうか。
 

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March 23, 2006

№335 ストリートチルドレンの施設

    遊具もある「子どもの家」
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 チェンマイ県サンカンペーン郡メーファーヘム村にストリートチルドレンの保護施設「子どもの家」があります。現地のNGO「VGCD」 (The Volunteers Group for Children Developmnt)が、運営している施設です。
 チェンマイ市内から東へ車で約50分、牧場や田んぼが広がる田園地帯を走り、ガイドのソンブーンさんに村人たちに何度も道を尋ねてもらい、やっとのことでたどりつきました。気をつけていないと通り過ぎてしまいそうな場所です。
 
 未舗装の田舎道からの入り口付近には、パパイヤの木が数本と食料用の野菜畑があって、その奥が施設の敷地です。ロンガンの木でしょうか、木々に囲まれた敷地に竹編みの壁に茅葺や波型スレート屋根の粗末な高床住居が点在してます。それに事務所とは名ばかりの小さな建物と屋外の食堂、ブランコと滑り台などがあり、たくさんの洗濯物も干してあるのが見えます。これまでに見た施設と比べると、かなり生活環境が劣っていて、少し胸が締めつけられます。

 子どもたちは学校に行っているらしく誰もいません。事前に連絡が取れずにアポイントなしで訪問したのですが、
ほどなくスタッフのオーさんが戻ってきてくれて、見学させてもらえることになりました。オーさんはまだ若い方で20代後半でしょうか、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えた奥さんと2人だけで、子どもたちの世話をしているそうです。
 
 ここで暮らしている子どもたちは、7歳から16歳までの17人。ほとんどが小学生ですが、高校生が1人。このうち7人はIDカードを持っていますが、他の10人は持っていないとのこと。男女別・年齢別に4棟の住居で共同生活を送っています。建物の内部は狭く雑然としていますが、アイドルのポスターなども貼ってあり子どもらしさがうかがえます。
 どの子どもも両親がいません。チェンマイで麻薬に染まったり、児童買春などしていたのをVGCDのスタッフが保護した子どもたちです。はじめは、市内にある子どもの緊急避難を目的とした「ドロップインセンター」に収容されます。そして、ストリートの生活から抜け出すことを希望した子どもたちが、この「子どもの家」にやってくるのです。

 「子どもの家」では、共同生活を通して協力したり助け合ったり、人を思いやる心を学んでいきます。また、ライフスキルトレーニングだけでなくカウンセリングなどのメンタルケアも行っているそうです。子どもたちが、いつか一般のタイ社会に戻り、安全で幸せに暮らしていく技術を身につけるための活動が行われているのです。

 最後に、心ばかりの寄付をして「子どもの家」を後にしました。
 
 つづく

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March 22, 2006

№334 種子島 団塊の世代を受け入れ

  チェンライのナイトバザールにて
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 3月15日の朝、NHKを見ていると「鹿児島県の種子島が団塊の世代を誘致」という九州エリアのニュースが放送されました。全国各地で取り組まれているように、来年から定年退職を迎え始める団塊の世代に移り住んでもらって、島の活性化を図ろうとする内容でした。
 具体的には、住宅の紹介、就職の斡旋、島のしきたりや生活情報の提供などを検討しているとのこと。インターネットで詳しい内容を検索したのですが、このニュースに関するものはヒットしませんでした。誘致に積極的な北海道だけでなく、南の鹿児島でも動き出しているようです。
 そこで、関連の情報を2つ紹介します。

その1
 平成17年6月、種子島西之表市・長野力市長の市議会での施政方針演説の一部です。

「交流と絆の基礎づくり」について
 人・物・情報等を活発化させながら、地域振興を図るための仕組みづくりの研究、検討を推進いたします。具体的な施策としましては、団塊の世代が退職期を迎え、その社会的損失は多額なものに上るといわれておりますが、これら世代の種子島定住や滞在型観光のニーズ調査、受け入れ態勢の整備を促進するため、シニアタウン構想の研究・検討を行うとともに、小川香料跡地についても利用に関する検討を進めてまいります。
 少子高齢化が進み、日本全体が人口減少社会へ移行しようとしている現在、新しい社会を見とおした地域振興策はどうあるべきか、地域の実態を考慮に入れ、足元をしっかり見つめながら考えてまいりたいと思います。 


その2
 つぎに時事通信社が配信する「官庁速報ヘッドラインメール」からです。

「民間の視点で観光戦略を再構築」
 九州新幹線(鹿児島中央~新八代間)が昨年3月に営業運転を開始し、開業効果に沸いた鹿児島県の観光。
県商工観光労働部の原田耕藏部長(はらだ・こうぞう=57)は、「南北600キロにわたる広い県土、種子島・屋久島や奄美大島など自然豊かな離島、多彩な食文化…。こうした特性を前面に打ち出し、鹿児島の魅力を売り込んでいきたい」とPRする。

 県は新たな視点から観光戦略を再構築しようと、2005年9月「観光プロデューサー」を県観光連盟に配置する。JTBバンコク支店長などを歴任した其田秀樹氏(54)を3年間の任期付きで起用。民間の専門知識を生かして、観光素材の発掘や商品化などに当たってもらう。2011年春の九州新幹線全線開業を見据えた戦略だ。
 開業2年目の今年度は、「愛・地球博」に観光客が流れたこともあり、鹿児島の観光も1年目と比べてやや苦戦気味。だが原田部長は「これからはスローライフ・スローフードの時代。離島など自然豊かな鹿児島は、癒やしを求める人たちの心地よい受け皿になり得る」と潜在的な可能性をアピールする。
 今後退職を迎える団塊の世代の取り込みにも狙いをつけ、 「彼らは行動的なシニアで、多様な目的を持って旅行する。そういう人たちを満足させられるような企画を立てていかなければいけない」。観光プロデューサーにもこうしたアイデアを期待するという。 (2005年8月3日配信) 

 実は観光プロデューサーの其田さんとは懇意にしていて、タイのロングステイについてもいろいろとご教授していただいています。 鹿児島県知事から是非にと請われ、JTB九州から出向されてご活躍中です。
 其田さんの民間のノウハウと行動力を生かして、種子島はじめ鹿児島の地で、他にはない個性的なプログラムを展開されることを期待しています。

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March 21, 2006

№333 踊るエビのレストラン

  これが「生エビの踊り食い」です
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 チェンマイ郊外のサン・カンペーンからドイ・サケットへ向かう途中でお昼を食べました。 「淡水魚の塩焼き」が美味しいというガイドのソンブーンさんお勧めの水上レストランで、休日によく食べに来るそうです。
 田園地帯の真ん中に、その水上レストランはありました。そこは川でも湖でもなく人工の池を掘って、池に突き出した茅葺きの東屋風の建物で食事をするようになっています。レストランの入り口では、名物の淡水魚にたっぷりの塩をつけて炭火で焼いています。一見鯛のような魚の表面は、厚く振られた塩で真っ白です。

 レストランの名前は「チャイ・クン・トン・テン」。ご存知「クン」はエビ、そして「テン」は“踊る”なので「踊るエビのレストラン」という意味だそうです。 「淡水魚の塩焼き」が名物なのに「エビ?」と不思議に思っていると、 「生エビの踊り食い」がもうひとつの名物料理だというのです。
 いつも通っているソンブーンさんに注文をまかせて、このレストランの名前にもなっている「生エビの踊り食い」と「空心菜の炒め」「ピリ辛の野菜サラダ」「バジルも入った生野菜」など、それにご飯をとりました。これだけ注文して210バーツ(約630円)です。わたしはこの日もお腹の調子がもうひとつで、温かい「タイ風おかゆ」にしました。トホホ・・・

 蓋をした小ぶりな陶器が運ばれてきました。これが「生エビの踊り食い」のようです。ソンブーンさんが、両手で蓋をしっかり押さえたまま器を持ち、何度も何度も振ります。生きたエビを酔わせているというのです。
 しばらくして蓋を取ると、レモングラスなど数種類のハーブに混じった3cmくらいの川エビが、いきなり飛び跳ねました。生のハーブとナンプラーでエビを酔わせるのですが、まだ元気いっぱいです。何匹かの透明なエビがテーブルの上を跳ねます。海鮮中華に紹興酒で酔わせた車えびを食べる料理がありますが、それのタイ・バージョンというところでしょうか。
 ソンブーンさんは、ハーブと一緒にエビをすくい、跳ねないうちにすばやく口に運びます。いかにも美味しそうに食べます。

 わたしはというと、温かいおかゆをゆっくり食べていたのですが、さすがにこの名物料理を見逃すのが惜しくなり、チャレンジしてみることにしました。普段なら喜んで食べるのですが、やはり生ものには少し勇気が要ります。
 食べてみるとレモングラスの独特の風味が口の中に広がり、エビのカリカリした食感が後からついてきます。エビの味はほとんどしません、数種のハーブとナンプラーがミックスされた個性的な味です。濃い目の味なので、ご飯のおかずや酒の肴に合います。
 今回は残念ながら味見程度でしたが、次はお酒を飲みながら、じっくりと味わってみたいものです。

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March 20, 2006

№332 ゲストハウスにはシャンプーがない

     グストハウスの看板
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 昨年末チェンマイでの宿泊先は、夏につづき「BAAN KAEW GUEST HOUSE」というゲストハウスです。ピン川にほど近く、中学や高校、お寺などが多いエリアにあり、緑に囲まれた静かなゲストハウスです。
 ヨーロッパ系の長期旅行者が多く、クリスマスということもあって満室で、1泊650バーツ(約1950円)と前回より100バーツ値上げしています。これとは別にトーストとコーヒーの簡単な朝食が100バーツです。ハイシーズンなので仕方ないですね。

 部屋にはテレビはありませんが、広めでゆったりできます。しかし、空調は冷房専用で暖房はなく、この時期冷えるチェンマイでは室内は寒く感じます。せめて温まろうとシャワーを熱めにして長めに浴びることにしました。こういう時はやはりバスタブが恋しいですね。
 歯ブラシがないのは分かっていたのですが、シャンプーがありません。すっかり忘れていました。仕方がないので浴用せっけんで代用です。もちろんドライヤーもありませんから、なかなか髪の毛が乾きません。結局あまり身体を温めたことにはならなかったようです。

 風邪を引かないように、長袖のシャツを着て丸くなって寝ました。それでも寒かったですが。
 なにやらダニか南京虫のような虫がベッドや毛布の中に潜り込んでいたらしく、朝起きると太ももとお尻が痒いのです。2ケ所、直径3~4cmくらいの大きさで皮膚がピンク色に腫れています。おそらく虫が刺したところなのでしょう、その中に10数箇所ほど赤い斑点が出来ています。持参した虫刺され用の薬を塗っても塗っても、気休め程度で痒みが取れません。
 帰国してもしばらく痒みがありました。3ヶ月以上経った今でも、その斑点が残っています。いったい何の虫だったのでしょうかね。

 2泊の予定が予約ミスのため1泊だけになりましたが、結果的によかったと思います。夏はともかく、この時期のチェンマイは寒いので、ゲストハウスは避けた方が無難でしょう。1000バーツくらいで、そこそこのホテルがあるのですから。

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March 19, 2006

№331 バンコク走遊会 10周年

   10周年記念マラソンの記事
soyukai

 バンコク在住の走ることが好きな人のサークル「バンコク走遊会」が、今年創立10年を迎えました。おめでとうございます!それを記念して、走遊会の会員で「タイロングステイ日本人の会」の理事でもある栗並登紀男さんが、会員向けにメールを配信されました。栗並さんのご厚意によって、その内容を紹介させていただきます。

「走遊会10周年と老化と頑固と」 栗並 登紀男

 月日の経つのは早いもので、97年3月走遊会に入って丁度9年になる。当初はあまり大会には参加せず、もっぱら宴会要員だった。茶々庵の二階がなつかしい。
 年に3回、10km走が始まりだった。当時は毎週ゴルフに出かけ、軽く100を切っていた。いつの間にか、ゴルフは減り、マラソンに傾いた。何故なのか、自分でもわからない。一つ言えることは、ゴルフは同伴競技者に気を使う必要がある。自分勝手には行動できない。時にはナイスショットと褒めることも必要だ。そしていつも握りで、負けて金払うことも必要だ。小心の私?にはどうもそのへんが、あまり性に合わないのかもしれない。
 ところが、長距離走は基本的に、一人でやる運動だ。マイペースで好きなように出来る。仲間も似たような人が多い。世の平均から見ると、変人が多いが世界観が比較的近い。

 タイでロングステイ会に入り、何もしない世話役をやっている。会員は定年すぎのおじさん達が主流である。人間50すぎたら、頑固で、考え方がころころ変わらないほうが良いと思ってはいる。無理して人に合わせて、今さらどうするのと言うのが、小生の考えである。
 ところが、ロングステイ会員の中には、本当に変人がいる。当初は良かった関係が何故か悪化する。腹を立てて脱会する。そして新しい会をつくり、同じようなことをする。

 タイにはミニコミ誌がたくさんある。無料で同窓会、不用品販売、行事の宣伝をしてくれる。皆さんの中で、下記のようなニユースが一緒に掲載されているのを見て、おや!!と思ったひとがいれば、その人は注意深い人です。
(例) VOICE MAIL 25 Jan. 2006
  タイロングステイ日本人の会 月例会のご案内
  ロングステイ タイ暮らしの会 開催
 どちらも暮らしの相談、タイ語、ゴルフ、旅行会、食事会を行います。後者は前者を出た人が新たに作った会です。前者にも二派あってゴルフ大会もそれぞれ行われています。面白いですね。人間、特に男性は常に闘争することによって元気をつけているのかも知れない。女性の世話役が閉口してよく言ってます。男の人ってどうしてこうなんですかねと。

 世話役に代わり宣伝します。皆さん!!! 主催大会はこれで最後かもしれない。10年後まだ生きてますかね。何が何でも、参加してゆっくり走りましょう。
走遊会主催 MAR 26(日)2006
マラソン10km 6:00am ノンタブリ 厚生省
懇親会      6:30pm PANPACIFIC HOTEL

 走遊会10周年記念のため、リレーエッセイを全部コピーした。10年間に66人が書いている。平均一人二回登場。小生出過ぎですが。懇親会で配付します。乞ご期待。  以上
                                   

 「走遊会」で走ることの魅力や、ロングステイ会を通してシニアの長期滞在ぶりがよく分かります。
 3月26日のマラソン大会に参加希望の方、是非どうぞ。先週のバンコク週報に記事が出ていたようです。また、バンコクでロングステイされている方、これから計画される方で、走ることが好き、仲間が欲しいという方は入会されてはいかがでしょう。タイ国日本人会のホームページに「走遊会」のコーナーがあります。 
 http://www.jat.or.th/kakubu/undoubu/soyu.html

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March 18, 2006

№330 タイの政情混乱

  苦境に立つタクシン首相 (15日)
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 今年に入り、にわかにタクシン首相に対する辞任要求が高まっています。
 先日、読者の方からも「タクシン家の2200億円の株売却利益をめぐってタイが大変なことになっていますね。ロングステイ日本人への今後の影響など、そちらで把握できる情報配信もお願いします」というコメントをいただきました。
 ただ「そちらで」というのがバンコクを指しているとすれば(多分そうだと思いますが)、残念ながらわたしにも分かりませんと答えるしかありません。福岡在住なので、バンコクの実情は分からないのです。 
 しかし、バンコク在住の方からのメールなどから、今のところ政情混乱に伴う緊迫感というのは感じません。わたしも今月27日から来月3日までバンコクに行きます。総選挙が予定されている4月2日もバンコクにいますから、少しは状況を実感できるかもしれません。

 さて、タイの最新ニュースについては、ヤフーに便利なサイトがありますので参考にしてください。
 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/thailand/ 

 では、いくつかニュースを紹介しましょう。
「タイ首相、一時辞任を示唆」
 市民グループから激しい辞任要求を受けているタイのタクシン首相は15日、遊説先のブリラム県で地元メディアから「下院選挙後に首相指名を受けず、一時首相職を退く考えはあるか」との質問を受けたことに対し、「すべての提案を検討する。時間をかけて判断したい」と述べ、一時的な退陣の可能性を示唆した。(3月16日 産経新聞)

「タイ首相 首相府入れず」
 タクシン首相は16日、遊説先の同国東北部から首都バンコクへ戻ったが、デモ隊の座り込みで首相府に入れない事態となった。 (中略)
 15日に一時的な辞任の可能性を示唆したタクシン首相だが、16日午前には記者団に「まだ考えていない。私は民主主義に従ってすべてを行おうとしている」と発言。心情が揺れていることを露呈した。
 一方、混乱した政局を打開するため、プミポン国王の側近であるプレム枢密院議長が15日夜、和解を呼びかけたのに続き、ルアンロー軍最高司令官も仲介者による和解の必要性を強調し、話し合いを求める空気も広がり始めている。(3月17日 産経新聞)

 16日の朝日新聞には「強硬『タクシン流』陰り」という大きな記事がでました。その一部です。
 政治的な混乱に伴い、タイの経済成長率が下落するとの予想も調査機関から出ている。旅行業者の団体は、観光客が10~20%減るとの見込みを発表した。経営者として成功し、最高経営責任者(CEO)型の宰相を自任する首相には打撃となっている。
 実際、日本との間で4月に調印が予定されていた自由貿易協定(FTA)交渉や、地下鉄建設など大型公共事業の技術提案の期限が延期になるなどの影響が出ている。
 アジア通貨危機後の経済不振を脱却したタクシン首相の手腕を支持してきた財界からも「事態収拾には辞任やむなし」の声が出始めている。 

 すぐにロングステイをしている日本人への影響はないでしょうが、しばらく目が離せないタイの政局です。


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March 17, 2006

№329 タバコに酒に規制もろもろ

     BTSナナ駅から
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 タイの情報誌「DACO」の183号に「タバコに酒に規制もろもろ」という記事が載っています。タバコは吸いませんが、お酒を飲むわたしにとってはちょっと気になる記事です。

 まず、タバコについてです。
 愛煙家の肩身は今年さらに狭くなった。2005年3月には健康被害を警告する不快な写真がパッケージを覆いつくしたかと思うと、9月には保健省が陳列販売を禁止、ついに店先からタバコがなくなった。(中略)
 少し前までタバコを買う時は、レジに乗り出して指を指し、右か左にちょいちょいと動かせばそれで済んだ。しかし、今は違う。「マルボロ・ライトのメンソール、ボックスね。あとできれば(比較的不快度が低い)おばあさんもしくは親子の写真のを」と、これだけのことを口頭で伝えなければならない。まあ、タイ語の訓練にはいいかもしれないが。
 
 紙面には、マイルドセブンのパッケージにタバコの害で瀕死状態といった病人の写真が紹介されています。本当にこんなパッケージのタバコが売られているのでしょうか、すごいですね。他にどんな写真があるのか確認してみたいものです。

 つぎはお酒の記事です。
 酒飲みにとってもタイは暮らしにくくなってきた。11月17日から、酒の販売時間や場所の規制が強化された。
「あら、ごめんなさい。今夜から12時過ぎるとアルコールは売れないの」。 スーパーのカゴに入れたビールをレジの女の子に突き返される。過ぎてるってほんの2分じゃない、見逃してよといってみてもダメである。レシートに記録が残ってしまうのだろう。

 お酒の時間規制もきちんと実施されているようですね。インターネットで調べてみると、お酒が買える時間は、午前11時から午後2時までと午後5時から午前0時までということです。つまり、お昼は午後2時から5時までは酒類の販売禁止時間になっています。
 いつも行きつけのスーパーで買い物をする際にビールを買って帰るのですが、たまたまその時は夕方からの販売時間には早いらしく、レジでストップをかけられたことがあります。間もなく販売時間になったので、運よく売ってもらえましたが。やはりレシートに時間が印字されるため、規制を守らないといけないのでしょう。
 しかし、未成年にお酒を売らないのは当然ですが、なぜ成人にも時間制限を設けないといけないのでしょうか。
酒が強いタイ人が、昼間から飲まないようにするためなのでしょうかね。

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March 16, 2006

№328 ロングステイの経験を地域に活かす

    いきいきとした西さん
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 3月14日、西日本新聞の「現役時代の経験 地域に生かす」という記事で、シニアのコミュニティビジネスが取り上げられています。 この中に以前ブログ(№18,19)で紹介した福岡市の西郁子さんの記事が載っていました。
 西さんは、2003年1月から約1年間、チェンマイでのロングステイ経験があり、そのインタビューをブログで紹介したのです。以下は新聞記事の全文です。

 福岡市博多区吉塚の住宅街では、中高年の女性たちが、「食事をしながら気軽に何でも語り合える場」をつくろうと、CB(コミュニティビジネス)に漕ぎ出そうとしている。
 中心は、この街で40年以上、美容院を経営してきた西郁子さん(64歳)。60歳を過ぎて引退したが、以降も家の中で過ごすよりも人とかかわり続けたかった。自分に何ができるか考えて思い浮かんだのが「地域に住んでいる人が、何となく集まれる場所」だ。

 レストランよりも気楽に、日ごろの悩みを語り合ったり、うっぷんを晴らしたりできる場所が、街角にあってもいい。
そんな思いで市のセミナーに参加し、CBのノウハウを学んだ。
 出店先は、約20年前に建てて経営しているアパ-トの一室だ。住宅金融公庫から借金をして改装。テーブルなどはリサイクル店で安く買った。木の風合いを生かした内装は、公民館よりもおしゃれな雰囲気を演出している。
 店名は、「食事処」ではなく「寄り合い処 亀や」にした。15席ほどの店内では、惣菜類やお茶を出し、住民が趣味で作った手芸品なども展示販売する。4月にも開店する予定で、美容院時代の顧客や近所の知人ら10人ほどの女性が手伝ってくれている。

 84歳になる母は当初、賛成しかねていた。西さんは「確かに、年金があれば生活に困ることはない。CBを始めても、失敗するかもしれない。それでも何もせずに後悔したくはない」と主張した。今では母も「私もレジ打ちの練習ばせんとね」と励ましてくれる。
 西さんたちは、「将来ここで洋裁が得意な人とか英会話ができる人なんかに講座を開いてもらうのもいいね」と胸を膨らませている。

 「地域に住んでいる人が、何となく集まれる場所」というのは、いいですね。つまり「地域の居場所」ということだと思います。地域に根ざしたシニアが、地域にみんなが集まれる居場所を作るというのは、素敵なことですね。
 「寄り合い」とは、もともと農村集落を運営するための会議のことで、全員参加して知恵を出し合い物事を進めていたのです。西さんにお尋ねすると「寄り合うことによって、些細なことでも解決できる糸口ができるのではないかと『寄り合い処』になりました」とのこと。
 また「亀や」の由来については、「人に優しかったおばあちゃんの名前と、『かめとうさぎ』から歳をとってもゆっくり目的を持って進んでいきたいという私の願いを込めました」ということです。

 そして「何もせずに後悔したくはない」というのは、いかにも西さんらしい言葉です。わたしのインタビューでは、こうおっしゃいました。 「年だからと思わないで行動してみる、何でもやってみる」と。これこそが、西さんの身上なのです。実際に行動に移してみる、やってみると意外にできてしまうともおっしゃいます。
 その行動力の底流には、若い時よりも今の方が時間を大切にしたいという思いがあるのです。それが、いきいきとした西さんの生き方であり、元気の素なのです。

 そして忘れてはならないのは、ロングステイの経験もきっと活かされていることでしょう。前向きな考え方を実際に実行する西さんに拍手を送りたいと思います。 「行動すること」の大切さを教えてくれます。
 開店後、是非訪問させていただきます。楽しみです。

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March 15, 2006

№327 バンパイン宮殿は花いっぱい その2

      中国風の明天殿
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その2
 バンパイン離宮にはパビリオンと呼ばれる5つの宮殿がありますが、主にルネサンス様式、ロココ様式のものです。そのほとんどがラーマ5世によって建築されました。

 ラーマ5世は「王様と私」で有名なラーマ4世の後を継いで1868年に即位し、タイの近代化の立役者として知られています。現在でも、タイ国民であれば誰でもその名前と功績を知っているという英雄的な王様でもあります。
 ラーマ5世は、中央集権体制を確立し、電信電話事業を創設したり、道路の建設や鉄道の敷設など首都バンコクと地方を結ぶ交通網を整備しています。その中でも貨幣代わりに取引される「不自由民」制度を廃止したことが、その名を偉大なものにした最大の功績といわれています。永年にわたって続けたれていたこの制度を30年かかって廃止し、不自由民を解放したのです。
 その一方で、5人の王妃のほか多くの側室がいたといわれる精力的な王様としても有名です。ガイドさんの説明では、奥さんが23人もいたというラーマ5世。

 洋式の宮殿が多い中、離宮の一番奥まった場所に中国風の「明天殿」があります。タイ国中華総商会から寄付されたという2階建ての宮殿です。朱塗りの壁や柱、茶色の瓦に龍をかたどった陶製の飾りなど、一見してそれと分かります。
 この宮殿の1階は見学できるようになっていて、靴を脱ぎひんやりした大理石の床を歩きます。ただし建物内部の写真は撮れません。 ここにはラーマ5世が使っていたという寝室があり、ガラス越しに中国洋式の豪華な家具や調度品に飾られた室内を見ることができます。小柄な王様だっとという割には大きなベッドです。

 「明天殿」の周囲を見渡すと、奥さんたちのコテージ風の家が並んでいます。23戸あるかどうか確認しませんでしたが、かなりの数です。一説には側室が160人もいたといいますから、この宮殿だけで23人ということなのでしょうか。
 いずれにせよ、たくさんの奥さんたちに囲まれて過ごしていたのですね。自由奔放とはいえ、まあ大変なことです。
 

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March 14, 2006

№326 バンパイン宮殿は花いっぱい

   色とりどりのブーゲンビリア
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 昨年12月、アユタヤ郊外にある王室の夏の離宮「バンパイン宮殿」を久しぶりに訪れました。元々はアユタヤのプラサートトーン王が、チャオプラヤ川の水を引いて池と宮殿を建築したのがはじまりです。アユタヤ王朝が滅亡した後ラーマ4世が再建し、現存するほとんどの建物はラーマ5世が建てたものです。

 園内に入ると池に沿った見学コースにはマンゴーの並木があって、3月頃には大きな実が生ります。今は何も実っていませんので、それがマンゴーの木だとは気づかないかもしれませんが。 暑期に来ると刺すような陽射しを避けてミネラルウォーターを片手に日陰を求めて歩くことになりますが、この日は涼しいくらいでゆったりと散策できます。観光するには最適なシーズンといっていいでしょう。

 12月のタイは花が少ないせいか、洋式庭園の花々の美しさがより一層引き立って見えます。 この時期タイの国花であるゴールデンシャワーは咲いていませんが、きれいに手入れされた花壇には黄色のマリーゴールドが、
そして園内の至るところに赤や紫系のブーゲンビリアの鉢が並んでいます。花壇の中にはウサギの形に刈られたかわいい植え込みもあったりします。これらの花ときちんと刈り込まれた芝生や緑の木々とのコントラストが鮮やかです。
 
 園内の中ほど、池の真ん中に建てられた王様の休憩所があります。ラーマ4世が1876年に建てたタイ様式のもので、離宮のシンボル的な建築物といってもいいでしょう。ここを背景に多くの観光客が記念写真を撮るポイントになっています。この池の周辺には花が多く、一番きれいな場所でもあります。

 離宮の出口近くには、ブーゲンビリアの大きな寄せ植えがありました。白、赤、紫、黄色など色とりどりの花が咲き乱れ、豪華な色彩を織り成しています。ちょうど満開になった花が房のようになって咲き誇っていて、見事なものです。

 今回はゆっくりと歩くことができて、花を愛でながらの訪問となりました。

 つづく

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March 13, 2006

№325 ソンブーンさんとウァンさん

  ソンブーンさん(左)とウァンさん
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 チェンマイからチェンライ、メーサイへは、ワンボックスの車をチャーターして1泊2日の小旅行です。 昨年8月と同じく、チェンマイの旅行社「RSN」を利用しました。JTBが世界各国で現地の観光ツアーを任せる旅行社の中で、 “顧客満足度が世界で№1”と評価している同社です。
 前回も同行してくれたガイドのソンブーンさんを指名し、早朝宿泊先のゲストハウスに迎えに来てもらいました。そして運転手は、今回初めてのウァンさんです。

 ソンブーンさんは、チェンライ出身の29歳で独身。どことなく日本人風の顔立ちで、いつも笑顔の好青年です。チェンマイ教育大学で日本語を学び流暢な日本語を話せますので、コミュニケーションには何も問題ありません。
 バンコクには同じガイドをしているガールフレンドがいるそうで、待遇もいいバンコクへ移ろうかと思案中とのこと。
地方で働いている若者にとっては、やはりバンコクは憧れの大都会のようです。

 運転手のウァンさんは、いかにも陽気な感じで、太目の体格にタイ人にしては珍しく茶髪です。タイの男性で茶髪というのはあまり見たことがありませんでした。その分若く見えるのですが、42歳と聞いてビックリです。

 ガイドのソンブーンさんは、車中でわたしのスケジュールを確認しながら、コースや所要時間など的確なアドバイスをしてくれます。今回はチェンマイ郊外のエイズ孤児の施設「バーン・ロム・サイ」、サン・カンペーンのストリート・チルドレンの収容施設、チェンライで米づくりをしている平岩さん、そしてミャンマーとの国境の町メーサイまで足を伸ばす計画です。
 初めての訪問地への道を尋ねたり、お腹の調子がもうひとつのわたしのために薬局を探してくれたりと、親切に対応してくれました。お決まりの観光地を回る訳ではなく、こちらのリクエストした行程ですから何かと大変だったと思います。

 移動中のお昼は、2人と一緒に食べます。北タイの郷土料理やカレー風味の麺「カオソイ」など、自分たちの行きつけで、地元で美味しいと評判の食堂に案内してくれます。ガイドブックにも載っていない、ましてやツアーでは立ち寄らないようなお店ばかりです。これもオーダーメイドの旅の楽しみというところでしょうか。
 運転手のウァンさんは、よく食べます。麺類は確かに少なめの量なのですが、お替りして二人前です。その上ガソリンスタンドでの休憩の時も、必ずジュースや軽食を食べています。その体格通り、なるほどと思える食欲です。

 宿泊したチェンライでは別行動になってしまったので、夕食を共にしませんでしたが、サンソンというお酒で夜遅くまで盛り上がったとのこと。2人とも甘いものが好きですが、お酒もなかなか強そうです。
 次回はソンブーンさん、陽気なウァンさんと一緒に飲みたいものです。先にこちらのほうがダウンしそうですが・・・

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March 12, 2006

№324 清清しいチェンマイの朝

     ピン川に架かる鉄橋
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 昨年末、チェンマイは朝6時すぎに陽が昇り爽やかな青空が広がっていました。気温は16度、清清しい朝です。 タイ北部チェンマイの冬は日本の秋といった風情で、暑くも寒くもなくとても爽やかです。朝食を済ませカメラを片手に朝の散歩に出かけました。

 8時前から朝のラッシュが始まっていて、道路は車やバイクで混雑しています。ピン川に架かる橋を渡ることにしました。橋の名前は分からないのですが、川の東岸にはTAT(タイ国政府観光庁)のチェンマイオフィスがあります。この橋は昔風の鉄道橋のようにがっちりした鉄骨作りになっていて、専用の歩道を歩きます。
 橋の上からは川沿いに視界が広がり、川辺の緑の木々やホテルが朝日を受けて輝いています。川幅は約100mくらいで乾期の水位は低く穏やかに流れていますが、雨期になると毎年のように氾濫するそうです。 聞くところによると、ピン川が氾濫すると多くの見物人がやって来て、泳ぐ人やボートを漕いでいる人もいるといいますから、日本の洪水とはイメージがかなり違うようですね。

 川を渡り終わると、勤務先へ急ぐ車やバイクが行き交う大きな通りです。寒がりのタイ人は、ジャンパーや手袋などの防寒スタイルでバイクに乗っています。道路わきには屋台が出ていて、赤バスや青バスの運転手が朝食を食べていますが、もう一仕事終えたのでしょうか。
 川沿いの歩道はたくさんの花鉢で飾られ、洋式の立派な街灯も設置されています。散歩したりジョギングするには最適です。その歩道で散歩をしているタイ人の親子に出会いました。3歳くらいの男の子は、ジャンパーに毛糸の帽子と真冬の服装です。そうかと思うと、半袖半ズボンのヨーロッパ系の観光客も歩いています。服装が極端なのでおもわず笑ってしまいました。

 真っ青な空にきりっとした空気の中、汗もかかない気持のいい朝の散歩でした。

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March 11, 2006

№323 長崎市 団塊の世代を誘致

アユタヤのワット・ヤイ・チャイ・モンコン
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 2月24日の西日本新聞の九州版の記事「定年後の団塊世代誘致」からです。

 長崎市は、2007年度から退職者が増える団塊世代をターゲットに、農園付き住宅などで定年後の第二の人生を長崎で過ごしてもらうための事業に乗り出すことを明らかにした。
 同市は昨年1月以降、近隣7町と合併したが、国立社会保障・人口問題研究所が04年に発表した人口推計では、30年後に旧長崎市で約30%の人口減が指摘されるなど、県都空洞化の危機に直面している。
 合併を機に、海や山に囲まれた自然豊かな旧町の特色を生かして人口減に歯止めをかけようと、都市部に住む団塊世代の夫婦に狙いをつけた。

 計画では、新年度はまず、天然温泉のある伊王島地区に長期滞在型の農園付き住宅を2棟用意。1年間滞在してもらい、地元住民との交流や農業を満喫してもらう。移住希望者用として1区画300平方メートル土地を4~5棟分整備するほか、市営住宅や市民農園、民間の空き家も紹介する。
 ホームページに関連情報を掲載し、首都圏でもPRする予定。反響を見ながら、住宅や区画の拡大を検討する。
 同市総合企画室は「団塊世代の人たちが地域に入ることで、地元の活性化にもつながる。ぜひ長崎に住んでほしい」と呼びかけている。


 このような田舎暮らしを希望する団塊の世代を誘致するプロジェクトを、全国の自治体が本格的に取り組み始めています。しかし、ハード面に関する計画は多いようですが、それに伴うソフト面の話があまり出てきません。
 移住しようとする人たちが、どのようにしたら地域社会と交流し根付いていけるのか、どのようにシニアの経験や技術、そして意欲を活かすことができるのか、などのプログラムが必要です。受け入れ側は「その土地に骨を埋めようか」と思わせるような魅力を備えなければなりません。やはりハード・ソフト両方があってこその定住だと思いますし、地域の活性化にもつながると思うのですが。

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March 10, 2006

№322 サンソンとメコン

     サンソン(左)とメコン
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 タイのお酒の話題です。タイ人は日本人よりお酒が強いと聞きます。まずはビール、暑いせいもあるでしょうが水代わりに飲んでいます。次はタイ・ウイスキーと呼ばれるものです。タイでは茶色のお酒をすべてウイスキーといいますが、本当のウイスキーとは違います。飲みやすくためでしょうか、タイ人はこれをソーダ水で割るのが一般的なようです。
 その代表的なスピリッツが「サンソン」と「メコン」でしょう。どちらもコンビニなどで売っています。「サンソン」(300ml)は、セブンイレブンで105バーツ(約315円)でした。「メコン」の方が少し安いようです。

 「メコン」は、お酒と同じような茶色のラベルが張られたボトルで35度あります。タイ語の文字なので読めませんが、まあそれとわかるでしょう。このお酒は「メコン・ウイスキー」の名で親しまれています、しかし米やサトウキビが原料なので本当のウィスキーではありません。以前試したことがあるのですが、ウイスキーとは思えない味でそれ以来飲んだことがありません。

 もう一方の「サンソン」は、ラム酒で40度です。やや角張ったボトルに白地のラベルに「RUM」と英語で書かれていますが、米を原料としていますので、これも本当のラム酒ではありません。ちなみにサンソンとは、タイ語で「月」の意味だそうです。度数が「メコン」より高いので、“酒好き”が飲むお酒ともいわれているようです。
 「メコン」に懲りてタイではビールしか飲まなかったのですが、昨夏タイ北部を一緒に旅行したSさんに勧められた「サンソン」、初めて飲んでこれまでのイメージが変わりました。意外に美味しいのです。マイルドで飲みやすく、ストレートでも水割りでもいけます。寝る前のナイトキャップには最適です。お酒好きな方は一度どうぞ。

 他にも沖縄の泡盛のルーツといわれるタイの焼酎「ラオ・カオ」もあるようですから、試してみましょうか。

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March 09, 2006

№321 チェンマイのロングステイ事情 その2

  民族衣装を着たチェンマイ美人
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ロングステイの影の情報

 熱病に浮かされたような感もしないでもない「チェンマイ・ロングステイ」。 TVや雑誌等で手を変え品を変えて取り上げられる「チェンマイ・ロングステイ天国」・・・
 こちら現地のチェンマイに定住していると「大本営発表」のようなロングステイ天国なる喜びの情報は、私にはさほど耳に入ってこない。むしろ事情に疎い新参ロングステイヤーが、定住ベテラン日本人から直接または間接的に、大なり小なりの騙しにあった被害の噂話の方が、あちこちで密かに語られているようだ。
半分面白がって、半分馬鹿にして・・・。

 まあ、被害が噂話として伝わると、尾ひれが付いて大きくなる場合が多いし、眉唾物も多い。話半分、否、話4分の1とまで、慎重に受け取ることが必要であろう。 それにしても、事情に疎い“新参ロングステイヤー”が大なり小なりの騙しやペテンに遭うケース(話も含めて)が、ごろごろ転がっている。
 考えようでは、新参者が“騙しやペテン”にまったく遭わずにロングステイするのは、かなり困難な気さえしてくるほどだ。 断っておくが、海外で「日本人が日本人を騙す!」のは、何もチェンマイに限らず、世界各地の日本人社会で今も昔も起こっていること。その当り前さが、当り前に知らされないのが「チェンマイ・ロングステイ」の危うさの一つではなかろうか? いわゆるロングステイの注意点(マイナス情報)が、「シニアの新しい生き方としてのロングステイ」(注 わたしのブログのことです)のブログにも出ています。 内容を読むと、やはり「チェンマイ」は、とりわけ「長期定住日本人」に注意しないといけないと、日本でも考えられている傾向がありますね。

だがすぐに、これも“危ういかも”と脳裏をよぎった。リタイヤした年配でも男は男、可能ならば女遊びをしたくなるのは古今東西変わらないかも。
 チェンマイ市内では、日本人の持っているであろう懐のお金に(多分?)、笑みを投げかけて近づいてくる若い女性は少なくない。 それを、「チェンマイのチェンマイゆえの甘い誘惑」とでも言おうか、それにずるずるとはまっていくパターンは枚挙に暇がない。 実際にそうなっている旦那単身ロングステイヤーも少なからずおられると、ちらほら耳に入ってきている。

 今後もさらに流行ると確実視されているチェンマイ・ロングステイ。なにもそれはご夫婦でのロングステイだけではなく、むしろ主人だけの単身ロングステイもある。 あるばかりでなく、ますます増えて、割合的にはご夫婦より上回るのかもしれない。


 ロングステイの実態について、現地に在住している方ならではの記事ですね。 タイで人気の滞在地であるチェンマイのロングステイには、 “光と影”の両面があるようです。
 夫婦ふたりの典型的なロングステイヤーもいれば、男性の単身ロングステイもある。最近では、年金だけでは暮らせないという理由で日本を脱出してくる「年金移民」タイプの方までいらっしゃいます。
 また、その滞在目的もさまざまです。 さらに長期に滞在している日本人が後からやってくる日本人を騙す不動産のトラブルや、タイ女性にまつわる話しも多いようです。 それらを全部ひっくるめてチェンマイらしさというか、チェンマイ・ロングステイの特徴なのかもしれません。

 チェンマイが自分の“居場所”としてふさわしいかどうか、ロングステイの“光”の部分だけを見ないで“影”の部分も認識して、検討しなければいけませんね。

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March 08, 2006

№320 チェンマイのロングステイ事情

チェンマイ郊外のフォーシズンズリゾート
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 チェンマイ郊外で田舎暮らしをしていらっしゃる山内恵二さんの「チェンマイ・田舎・新明天庵だより」から、チェンマイのロングステイ事情に関する記事を紹介させていただきます。 山内さんは、北タイ情報誌「CHAO」編集者でもあり、いつも貴重な情報をいただいています。


典型的ロングステイヤーは多いのか?
 ひと口にロングステイといっても、チェンマイ市内には実にさまざまな形のロングステイヤーがおられるようです。定年退職や早期退職などで自由の身になり、御夫婦や単身で長期 滞在する、典型的ともいえるロングステイヤー。 その方々にも、2通りのタイプに分かれるでしょう。

 一つは、あくまで日本に住居がありチェンマイを南国別荘暮らし感覚で長期滞在しているが、年に数回は気候の良い日本で短期間過ごす。このタイプの人は、それを可能にする経済的余裕や住環境があるからでしょう。
 もう一つは、一応でも日本の生活をたたんで、こちらで曲がりなりにも腰を据えて本当の長期滞在をなさっている方。このタイプの人は、日本に帰るというか、行く場合は基本的にはなくなるでしょう。

 次に、典型的ロングステイの範疇に入らないリピート短中期滞在者も、かなりの数おられるようです。 1ヶ月からせいぜい長くても3ヶ月滞在しては、日本に戻って金と暇が出来ればまたやってくる。この繰り返しです。 これは30歳から50歳代の、それも男性の方々がほとんどであろう。

 そして、チェンマイにはロングステイでない、定住日本人もかなりの数にのぼってきているようです。 タイ人配偶者を得て定住している。いわゆるミヤノーイ(妾さん)と暮らしている定住者。

 日本語教師やホテル・ツアー会社などに、正式あるいは闇バイトとして一定の仕事を得ながら定住している。
こちらの日本企業に派遣されている日本人などがあげられます。
 
 このように考えると、典型的なロングステイヤーは、チェンマイの全体の日本人の中では、むしろ少数派ではなかろうか。そんな気がしないでもありません。

 つづく

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March 07, 2006

№319 タイ北部のガソリンスタンド

    シェルのガソリンスタンド
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 チェンマイとチェンライ間は車で約3時間半。ほぼ中間点くらいでトイレ休憩を兼ねて給油することになります。 チェンマイの旅行社RSNが、いつも利用している国道118号線沿いのシェルの大きなガソリンスタンドに立ち寄ります。 タイではかなり広い敷地のスタンドが多いようで、ここも郊外にあって周囲には緑が多く田園風景が眺められます。

 タイのガソリンスタンドは、基本的に給油だけで窓拭きなどのサービスはありません。 計量器付近に待機しているスタッフが事務的・機械的に給油するだけです。日本では最近セルフ給油が多くなりましたが、日本のような過剰なサービスも笑顔もまったくありません。 「いらっしゃいませ」でもなければ「ありがとうございます」風でもありません。いつの間にか給油して、いつの間にか終わっている、そんな感じです。所変われば、商売のスタイルも変わるものですね。
 昨年末で、レギュラーガソリンが26バーツ(約78円)、ハイオクが26.77バーツ、軽油が24.22バーツという看板があがっています。タイでも原油高の影響で、ガソリン価格が急騰しているようです。 日本ではレギュラーが約120円ですから一見安いようですが、物価水準を考えるとタイ人にとってはかなり高いものです。

 給油の間、一息休憩です。売店やコーヒーショップが併設されていて、ちょっとしたお土産まで結構いろいろなアイテムが揃っています。 ガイドや運転手さんは、必ず甘そうなジュースや乳酸飲料を飲んでいます。特に体格のいい運転手ウァンさんはよく食べます。彼らは車内では飲食しませんから息抜きに必要なのでしょう。

 また、この売店にはOTOP(タイの一村一品)の商品(ワイシャツなどの洋服類)を売るコーナーがあります。 OTOPとは、タイ政府が特産品を生かした地域振興策として進めている一村一品運動のことです。 タイ全国に7000近くある「行政村(Tambon)」を単位として「一品」を開発する運動で、タイ各地の職人技による商品などを販売しています。
 ここを訪れた女王様とオーナーが一緒におさまった写真が飾られています。王室も含めてOTOPには力が入っているのですね。

 15分ほど休憩し固まった身体をほぐして、次の目的地へと向かいます。

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March 06, 2006

№318 プー・パッ・ポンカリー

    プー・パッ・ポンカリー
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 「プー・パッ・ポンカリー」はカニのカレーソース炒めのことで、タイ料理を代表する海鮮料理です。 プーは「カニ」パッは「炒める」ポンカリーは「カレー粉」という意味だそうです。
 カニはワタリガニより太っていてツメが大きい泥蟹(オーストラリアではマッドクラブといわれている)のことで、これを甲羅ごと炒めて火を通してから、カレーで味付けをする。最後に溶き卵をからめて仕上げます。
 卵とカニ味噌がからまってマイルドになったカレーの風味とカニが絶妙にマッチして食べ飽きない味です。辛くないので日本人にも美味しくいただけるお勧めの料理です。とくにカニ好きの人にはこたえられない一品でしょう。タイではシーフード・レストランの定番メニューだと思いますので、ここへ行けば食べられます。

 2度、美味しい「プー・パッ・ポンカリー」を食べました。 以前に記事にしましたバンコクの「燕酒家」とチェンマイのナイトバザール近くのシーフード・レストランです。どちらも現地事情に詳しい方に案内していただきました。
 両者を比較すると、前者の「燕酒家」は中華系の海鮮酒家なので、中華風タイ料理という感じでしょうか。 後者のチェンマイの方はタイ料理のレストランなので、ややスパイシーな味付けだったような気がします。カレー以外にもナンプラーやオイスターソースなどでも味付けするようですから、それぞれのレストランで微妙な違いや個性があるのでしょう。

 泥蟹は日本のワタリガニより大ぶりのカニで、ツメにも足にもぎっしり身が詰まっています。あらかじめ殻を割ってくれているのですが、それでも硬くて手では割れないこともしばしば。それほどカニに執着心がなく短気なわたしは、あまり上手に食べられません。すると、だんだんカレーソースで手が汚れてくるのでティッシュの山ができることになります。そのため大勢で行ったときは、お店の方に殻を全部はずしてもらったこともあるくらいです。

 日本のタイ料理レストランでも同じメニューがありますが、ワタリガニを使っていることが多いようです。 日本では希少な食材なのでしょうか、やはり本場の泥蟹を食したいものですね。
 決してカニ大好き人間ではないわたしでも、また食べたくなる「プー・パッ・ポンカリー」。 タイに行った時には、ぜひ食べていただきたいタイ料理です。

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March 05, 2006

№317 混雑するBTS

  車両は全面広告されています
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 バンコク市内の移動は、まず第一にBTSを利用します。スクムビット通りにあるホテルに滞在することが多いので何かと便利です。

 この高架鉄道のBTSは、1999年に悪名高いバンコクの渋滞解消の期待を担って開通しました。 さらに2004年には、地下鉄(MRT)が開通して一層便利になりました。市内の移動には、この2つの交通機関を利用すればだいたいの所へ行けるようになりました。
 しかし、その割には交通渋滞はあまり解消されているようには見えません。もっとも、たまにしか行かず運転する訳ではないので、この点についてはバンコク在住の方の意見を聞かないといけないでしょうが。

 最初にBTSに乗ったのは、開通した翌年の2000年の12月だったと思います。バンコクを訪れたのも初めてでした。そういう意味でいえば、本当のバンコクの渋滞のすごさは知らないのです。
 初めての都市で鉄道があるというのはありがたいことです。その路線を基本にして移動すれば東西南北が分かるので迷うことはありませんし、街の全体像をつかみやすいからです。、
 BTSに初めて乗った時の記憶は、とにかく空いていたということです。それに冷房が効きすぎるということでしょうか。いつも座れましたし、開通間もないのにこんなにガラガラだったら、やっていけるのかしらと心配したくらいです。 運賃は10バーツから40バーツ(約30円から120円)と市バスに比べると割高で、バンコク市民は敬遠しているのだと聞いていました。

 ところが、最近はすごく込んでいて座れることは滅多にありません。 昨年末にも乗りましたが、入り口付近まで乗客で一杯のことが多かったです。乗客はタイ人の学生や若者、欧米人、中国系の人、それに日本人と結構多国籍です。
 ひとつ気づくことは、あまり一般的なタイ人、特に高齢者が乗っていないことです。やはり庶民にはまだ運賃が高いということなのでしょうか。
 それと高齢者にはやさしくないBTSです、つまりバリアフリーではないのです。 3階のプラットホームまでほとんど階段になっていて、エスカレーターが設置されている駅は少ししかありません。 3階といっても4階建てのビルを登るくらいの高さがあるでしょう。これでは高齢者にとってはつらい乗り物と言わざるを得ません。プラットホームまで上がってくるだけで汗をかいてしまいます。
 シニアのロングステイヤーにとっても、BTSは便利さよりも利用したくない乗り物かもしれませんね。

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March 04, 2006

№316 私の「団塊」流

   チェンマイのワット・プラ・シン
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 47年生まれの団塊の世代、寺島実郎さん(日本総合研究所理事長)のインタビュー記事の抜粋です(2月20日の朝日新聞)。

 一つの世代がもつ「価値観」というのがある。それは時代の流れを受けながら共有され、次の世代、子の世代に影響を及ぼしていく。 残念ながら、団塊の世代のものの見方や考え方は、程度の差こそあれ「経済主義」と「私生活主義」を掛け合わせたような価値観だった。 経済主義は、経済に異様なほど価値をおいた対米過剰依存の拝金主義でもあった。
 個人主義は、体制が抑圧しようが自分の思想、哲学、信仰は守り抜くという気迫に満ちた生き方です。しかし、私生活主義とは、自分の生活空間を守っていたいという程度のライフスタイルであって、個人主義でも何でもない。

 今、団塊の世代は、定年とかいって立ちつくしているが、 「社会の問題に立ち向かおう」と心からいいたい。
 日本は高齢化社会の重要な転換点に立っている。団塊の世代が「笠の雪」になって次代にのしかかるのか、社会を支える側に回るかで、今後の社会は大きく変わる。

 僕は、国家や権力の強制ではなく一人ひとりが主体的に参加する「パブリック(公共)」の重要性をいいたい。 パブリックとは「官」と「民」の間に横たわる概念だが、人間社会は誰かが公的分野を担わなければ成り立たない。その公的分野で何ができるのか。自分の好みや気質に合ったテーマを見つけ、労力、金、知恵、技術を提供しあう。それこそ今日の時代と社会が求めているものなのだ。

 実際、そうした動きは出始めている。会社に埋没してきたオヤジたちが各地で会社を超えた地域ネットワークを作り、環境や地域の若返りなど身近な問題で行動を起こそうとしている。


 団塊の世代である寺島さん自身が、団塊の世代を客観的に考察し、今後の日本社会に対する公的貢献を呼びかけています。同世代へのエールといってもいいでしょう。
 シニアが社会の負担になるのか、社会を支える側になるのか、どちらの道を歩むかで、これからの超高齢社会は大きく異なってきます。高齢社会の重要な転換点を迎えているのです。
 団塊の世代をはじめとするシニアが住み慣れた地域に戻って、ひとりの個人として寺島さんがいう「パブリック(公共)」のために貢献するような日本社会であってほしいものです。わたしもその一員として行動し、支援していきたいと考えています。

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March 03, 2006

№315 3月4日 テレビで紹介されます

   チェンライの王室植物園にて
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 お知らせです

 3月4日土曜日、福岡のテレビ西日本(TNC)の「土曜ニュースファイル CUBE」(朝10:30~11:45の放送時間)という番組で、ロングステイについてのインタビューが放送される予定です。
 先日、放送局からタイのロングステイとわたしのブログについて取材を受けました。 「多様化するシニアのライフスタイル」というテーマということで、その一部としてロングステイを取り上げるそうです。 1時間ほどインタビューを受けましたが、わずか1~2分くらいの放送だと思います。

 主なインタビュー質問内容は、
① ロングステイ・年金移民とは、どのようなものか?
② 海外においては、だいたいどのくらいで生活できるのか?(タイ・マレーシアなどの例)
③ ロングステイの魅力は、どこにあると思うか?
④ 団塊シニアの、定年後の考え方の傾向とは? などです。

 とりわけ、最近報道された「年金移民」に関心を持っているようでした。 「年金移民」とは、マレーシアとタイなどの東南アジアで「年金だけでは日本で生活できないから」という理由で実行するロングステイをいいます。 「年金移民」は、ロングステイの“光と影”の影の部分ともいえるでしょう。
 受入国が期待する「夫婦ふたり、月20万円で豊かな生活」の典型的なロングステイヤーではなく、「年金移民」タイプの方が増えているようです。 近頃、国民の格差が広がっているといわれていますが、生活しにくい日本に見切りをつけて、物価が安い東南アジアで老後を暮らす人が、さらに増えるのではないでしょうか。
 生活のため、収入を得るために定年後も働く人が多数派でしょうが、日本を脱出して生活の場を東南アジアに求める人たちが出てきているということでしょう。ライフスタイルというよりも「生活防衛・自己防衛的」な選択といった方が適切かもしれません。

 放送にあたっては、ロングステイをこれまでマスコミが紹介したようなステレオタイプの取り上げ方をしてほしくないこと。 また「年金移民」だけに焦点を当てないでほしい。 さらに「ロングステイが、シニアの新しい生き方のヒントやきっかけになりうるもの」として捉えてほしい、とわたしの要望を伝えています。

 さて、どのような放送になるのでしょうか?

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March 02, 2006

№314 チェンライで米づくり その4

   大根菜を洗うリス族の女性
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日本野菜の畑
 「こめや」の事務所からチェンライ市内の方へ車で約10分、日本野菜を栽培する畑に案内していただきました。
広さ2ライ(約1ha)の畑いっぱいにきれいに畝が盛り上げられ雑草もなく、よく管理されていることが分かります。
 たくさんの種類の日本野菜が栽培されていて、なす、きゅうり、トマトをはじめ、里芋や山芋まであります。なかでもキャベツ、大根、ごぼうなどの秋野菜が青々と育っていて収穫期を迎えています。 きゅうり、トマトは年中採れるそうですが、さすがに涼しいこの時期やや元気がなさそうです。その反対にこの時期、秋野菜が立派に育っているわけです。

 この畑は地元の農家から土地を借りて、自分の楽しみで野菜作りを始めたということですが、だんだんとその種類が増えていきました。日本の種を持ってきて栽培しているのですが、土地や気候も合うのでしょう。日本でみる畑とまったく同じです。日本ほど寒くならないので、夏野菜も年間を通して収穫できるのはいいですね。
 今では採れた野菜を地元の日本料理店などに卸していて、その新鮮さが喜ばれているそうです。手作りのビニールハウス内には、青じそが柔らかそうな葉を広げています。これもお寿司用に出荷されるとのこと。

 平岩さんと一緒に畑の世話をしているのが、住み込みで働いているリス族の3人です。少数民族の若者を雇い、畑の敷地内の住居で生活しながら働いてもらっています。少しでも彼らの職場を確保する願いも込められているのです。ちょうど若い女性二人が、朝収穫したばかりの大根菜を水洗いをしていました。このみずみずしい青菜を漬物にするのだそうです。 
 また、大きな大根もたくわん漬けにして商品化しています。

 直接米を作っていない平岩さんですが、ここでは野菜づくりに精を出しています。日本とものと比べると2倍はありそうな大玉キャベツを前に、嬉しそうに説明されます。 やはり土と接して野菜を育てている平岩さんは、生き生きしていました。

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March 01, 2006

№313 チェンライで米づくり その3

   平岩逸雄さん 事務所にて
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チェンライでの生活と今後
 
 チェンライにも「日本人会」があり、正式には「チェンライ日泰協会」といいます。平岩さんは日本人会の会長を務めています。 リタイア組を中心に80数名の会員が在籍し、年に3~4回の例会を開催している。この12月25日には、餅つき会を兼ねてクリスマス・パーティーを開きました。 日本人シニアとタイ人女性との子どもたちがいて、家族揃っての餅つき会は盛況でした。

 現在、平岩さんはタイで会社を経営しているのでビジネスビザで滞在していて、労働許可証(ワークパーミット)も取得しています。
 チェンライで米づくりをしてよかったことは、第一に会社勤めに比べてストレスがないこと、第二にお金もうけをしないでよいことだといいます。 そんなに黒字を出さなくてもよくて、普通に生活できるだけの収入があればよいと考えているそうです。お金の心配をしないことが、ストレスを感じないことにもなるのでしょう。
 反対に困ることは、タイ人を使うことの難しさだとおっしゃいます。 仕事はまじめにするが、指示されたことだけで考えることをしない。またタイ独特の用事休暇や休養休暇などがあるが、そのような休暇を取る際に当日連絡してくるのです。 病気で休むわけではないのだから、事前に申し出をしないタイ人気質に少々困惑気味のようです。

 ところで平岩さんは、4年前から少数民族の女の子(9歳)を里子として養育しています元々、日本にいる時から里親を7,8年間継続していました。その時の里子がもう25歳になっていて、「こめや」の社員として働いているそうです。 
 しかし、里親制度には問題があると指摘します。というのは「里子に会うために実際に来てみると、日本での情報と現地の実態が違うことに気がついたのです」。 年間3万円の教育支援をしていたのですが、里子が実際にいくらもらっているのか日本にいると分からないし、報告もなかったのです。 聞くと見るとは大違いで、毎年仕送りしたお金が、どこに誰にどのように使われているのか全く分かりませんでした。

 そこで、奥さんともよく相談して「それなら100%見えるように、子どもを自分の家に住まわせて学校に通わせよう」と考え、本当に貧しい家の子どもを引き取って勉強をさせることにしたのです。
 これはタイ北部で梅の植林ボランティアをしている梅林先生の持論でもありますが、「人からの資金でやるのはボランティアではない。ブローカーに過ぎない」と実感した。 「つまり、自分のお金や自分の体力でやるのがボランティアなんです」。自分で行動することが大切だと平岩さん。

 その後、里子を探していたところ、自分の畑に働きに来ていた母子を見て、その子(当時5歳)を気に入った。その子の実母は出産後亡くなっていて、後妻さんに育てられていたのでした。 すぐに村長さんを仲介人にして交渉し、里親の承諾を得ることができたのです。
 夏休みや冬休みには実家に帰しています。引き取って満4年になりますが、本人が希望すれば進学させたいといいます。親がIDカードを持っていないので、この子にもありません。IDカードがないとチェンライ県から外へ出られないのですが、私立の学校ならば進学できるのです。

 最後に「将来はどうされますか」と平岩さんに尋ねたところ、「いずれは帰国しないといけないかな」という答えが返ってきました。 というのは、熊本の実家で一人暮らしをしているお母さんのことが心配だからです。それと先祖代々の田畑や屋敷もあって、平岩さんが後を継がないといけないという事情もあります。
 しかし、できるだけタイの地域社会への貢献を継続していただきたいものです。

感想
 「自分で行動する、とことんやってみる。そして諦めない」というのが平岩さん。
 事業を通して、低所得のタイの農家の経済的支援を行い、個人としては里親となって教育の機会に恵まれない子どもの支援をする。 なかなかできないことですが、持ち前の粘りと根性でやり遂げてきたのだということが伝わってきました。
 個人であっても自分ができることとできる範囲で、チェンライにしっかりと根を張って生きている平岩さんです。
 
 そして、これからロングステイを計画する人へ、次のようなアドバイスをしています。
 まず第一に、目的を持つこと。日本での経歴や技術を活かすような過ごし方が大切だといいます。特に地方では農業指導などのボランティアが必要とされているのです。
 第二に、現地でだまされないようにすることです。日本人が日本人をだますことがありますし、単身の男性はタイ女性に注意しないといけません。 タイ人から日本人はお金を持っていて“打ち出の小槌”だと思われているのです。その意味で友人を作ったり現地に慣れるために、最初は「日本人会」に入会することを勧めています。

 つづく

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号外 アクセス数 50000件を超える!

 2月28日、ブログの累計アクセス数が50000件になりました。改めて御礼申し上げます。
40000件が2月3日でしたから25日間で達成できたことになります。一日平均にすると400件になります。 最近は、ほぼこのペースでアクセスしていただいているようです。

 また、新たにタイ関係の情報サイトにリンクしていただいたり、近日中に地元福岡のテレビで、ロングステイのついてのインタビューが放送される予定になっています。
 それによって新たな読者の方が、ブログを開いてもらえればありがたいことです。

 今後ともご愛読いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


                       感謝

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