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April 17, 2009

№1042 黄色のポロシャツはどこに?

    スクンビットソイ11界隈
2009_031

 09年4月14日の西日本新聞の記事から抜粋です。

 タイのアピシット首相は12日、バンコクに非常事態宣言を発令し、反政府デモの強制排除に踏み切りました、タクシン元首相派と反タクシン派の対立に、まだ打開の糸口が見えない状況が続いている。

 在タイ日本大使館は在留邦人や旅行者にデモや集会に近づかないように呼びかけている。さらに「混乱や誤解を避けるため」として、タクシン派のシンボルカラーである赤と、反タクシン派の黄色の服装をしないように注意。対立グループから襲われる危険を避けるためだ。
 またタイ正月のソンクラン期間に当たっているものの、例年見られる水を掛け合う光景は激減しているとのこと。


 さてバンコク滞在の最終日4月6日、上着に黄色のポロシャツを着て出掛けました。この日は月曜、市内は黄色のポロシャツを着た市民で一杯だと思ったからです。ご存知の通りプミポン国王の誕生日は月曜日、その月曜の色が黄色ということで、国王への敬愛の念を込めて黄色の上着を着るタイ人が多い、というのがこれまででした。

 ところが今回は、黄色がほとんど見当たりません。早朝のBTSや地下鉄の車内でも、ヤワラーの街を歩いても普段と同じで、特別に黄色が目立つということはありませんでした。
 これは反タクシン派の「黄色」とタクシン派の「赤」の対立が、影響しているのかな?という気はしましたが、非常事態宣言が発令されるような事態になるとは、その時は思わなかったのです。

 1週間後だったら、呑気に黄色のポロシャツを着ている場合ではなかったのですね・・・

 そして、14日午後のニュースによると「タイのタクシン元首相派の市民団体『反独裁民主同盟』(通称「赤シャツ隊」)は14日、バンコクの政府施設から撤収を始め、およそ3週間に及んだ首相府の占拠を終結した。(ロイター)」とあります。
 もっと膠着状態が続くのかと思っていましたが急展開! このニュースの通り、タクシン派デモ隊による騒乱が、このまま終息して欲しいものです。

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Comments

タイの暴動の様子は日本では、各報道機関によって、かなり大々的に報道されていました。

ASEANサミットがぶち壊しになった時には、アビシット首相に対する非難が結構高まっていました。

ところが、13日以降、赤服が市内で暴動を展開した後、世論の風向きはかなり変化がありました。

13日晩のNHKニュースには、タクシンとのインタビューが紹介されました。
タクシンの肉声を聞くことが出来ましたが、「私は暴動の扇動していない」とか「私は彼らを精神的に支えているだけだ」とか、もっぱら言い分けに終始していました。

先週末より、彼が赤服の集会にて連日連夜ビデオ出演して、抗議行動を煽っていたのが報道されていたので、インタビューに於ける彼の釈明は全く説得力がないというか、支離滅裂なコメントでした。

一緒にニュースを見ていた実家の者達は、「この男は、一体何を自分が喋っているのかわかっているのか?」と憤っていました。

一連のニュースを日本でフォローしていた日本の視聴者らは、皆同様にタクシンと云う人物像を捉えたと言えます。

その後、タクシンはCNN、BBC、朝日新聞など、海外主要メデイアとのインタビューを連日行っていましたが、同様のコメントを出し質問者より矛盾をかなり突かれた形となり、海外メデイアを利用しようとした彼の目的は、完全に裏目になったと言えます。

悪いことに、一部欧米系メデイアに於けるやり取りは、即日タイの英字新聞らの報道の餌食となりました。

タクシンの居場所が特定できないということでしたが、これら海外メデイアはどのようにして彼とコンタクトしたのでしょう?
勿論、タクシン側よりコンタクトし捲ったのでしょうけどね。

今朝(16日)のBkkポストにて、今回の一連の出来事に依って男を上げた人間と逆に評判を落とした人間等を、以下の様にリストアップしていました。

勝組・・・・

◎アビシット首相・・・・アセアン・サミットのキャンセルでは、かなり評判を落としたがその後、赤服集会制圧に於いては強いリーダーシップを見せた。

◎サンセーン軍報道官・・・・終始落ち着いた態度でメデイア対応を行ったことが好感された。

◎ブンラート・パイリン(元上院議員、占い師)・・・・アビシット首相の運が持続すると占い、4/15以降に政情不安が正常化に向かうと占った。逆にタクシン及び赤服集団は衰退するであろうと占った。

◎陸軍・・・・最小限度の死傷者にとどめ、世論の批判をかわしながら抗議行動を限られた時間の中で制圧することに成功した。

◎ヴィーラ ムシカポン(UDD指導者)・・・・UDD赤服集団に対する世論の批判は高まったが、彼が抗議行動終結宣言を下した事に対しては評価できるリーダーシップだったと言える。あの状況にて暴徒化した集団を治めることが出来たのは彼の指導力によることろが大きい。

負組・・・・

▲タクシン元首相・・・・海外及びタイ国内における支持者のほとんどを一連の出来事の中で失ったと言える。一般パスポートも剥奪されもはや凍結資産を取り戻す希望も断たれたと言える。

▲パニタン政府報道官・・・・サンセーン軍報道官と対照的に、動揺した態度を終始見せたことは政府報道官として失格(その分サンセーンが点を稼いだといえる)

▲ステープ副総理・・・・治安責任閣僚としての義務を全く果たさなかった。最大の失点は、パタヤにおいてネーヴィン率いる青服軍団の行動を黙認したことが、事態をややこしくしたのは最大のエラーだったと言える。

▲ラック(人気占い師)・・・・赤服集団のステージでアビシットの運は尽きたと言い、4/20に議会解散に追い込まれると占った。占い師としての将来はもはや無い。

▲UDD・・・・一連の抗議行動が、最終的にフーリガン的な暴動に展開してしまい、結果的に草の根層が望んでいたタクシン元首相復帰の芽を潰した事になった。

<バンコクの居酒屋「江戸屋」のサイトから>

Posted by: vios | April 17, 2009 at 09:23 AM

バンコクのタクシン暴動が終わったと思いきや、敗北したタクシン派のテロ攻撃が始まりました。
<タイの地元新聞を読む>から。

タクシンの敵、ソンティ氏の車に向けた銃乱射

17日7:30迄に確認できた各メディアの報道によると、同日5:30頃バンコクのプラナコン区内のクンプロムの交差点付近で、同区内プラアーティット通りにあるASTVに向かっていたプーヂャッカーン紙・ASTVの創設者で民主主義市民連合幹部のソンティ・リムトーングン氏の車に向けた銃の乱射事件が発生し、運転手が重傷を負った。

 ソンティ氏に関しては報道が錯綜しているが命には別条が無く電話にも応答できる状態だという。

 小型トラックに乗った人数不明のグループ(報道により2人組)がソンティ氏を乗せた車に向け100発前後の銃弾を発砲したと見られ、またM16が使用されたとの報道もある。

Posted by: vios | April 17, 2009 at 12:04 PM

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