August 19, 2007

№715 「くるんてーぷの会」原田さん

   クロントイスラムの幼稚園
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 07年8月10日の西日本新聞の記事からです。
 タイの貧しい子どもたちの教育里親活動に取り組む福岡市のNGO「くるんてーぷの会」が設立15年を迎えた。 「普通の主婦」や「普通の会社員」たちの地道な国際協力が長続きする秘訣は。そして課題は。友人だった設立者が亡くなった後、代表を引き継いで11年になる原田君子さんに聞いた。

-活動の概要は。
 「タイの最大のスラムであるクロントイ地区の子どもたちの学用品や制服などの教育費を支援しています。会員が1口月500円を出し合ってプール。子ども一人につき小中高校の各段階で10万円ずつ、大学に入ると3万5千円を、現地で同様の活動に取り組む財団を通して贈っています。
 現在は小学生から大学生まで23人の教育里親を務めています。海外で派手に活動するわけではなく、会員拡大や学習会など国内での取り組みが中心です」

-会名はどんな意味か。
 「バンコクをタイ語で言うと『クルンテープ・マハーナコーン・・・・』と、とても長い都市名になります。その冒頭からで『天使の都』という意味です。

-設立のきっかけは。
 「新聞社のバンコク特派員だった故河本典久さんの妻の故淳子さんが、1992年に設立。バンコク滞在中に現地財団でボランティアをしたのがきっかけです。私が会員になったのは2年後。淳子さんとは、子どもの幼稚園当時の母親仲間で、『ちょっと手伝ってよ』という感じでした。当時はNGOとか国際協力とか何も知らなかったけど『友だちだし、年間6千円なら』と軽い気持ちでした」

-それが2代目の代表になった。
 「96年に淳子さんが病気で亡くなられたんです。その時、典久さんから『タイには支援が必要な子どもたちがいる。淳子の遺言だから』と言われた。それから間もなく、典久さんも後を追うように病死されました」

-活動で得られることがないと長続きしない。
 「普通の主婦ではできなかったことを体験できました。協力を求めて役所の幹部にも会うし、他のNGOをはじめ、さまざまな分野の人たちと知り合えました。それが私の財産です。また、福岡のこと、九州のこと、日本のこと、世界のことを考えるようになり、少しずつでも視野が広がったように感じます。そうした楽しさがあります」

-会の現状と課題は。
 「会員は約160人。福岡だけでなく、ご主人の転勤に伴い、東京や神奈川、徳島などに移られた人もいます。会員のうちボランティアスタッフが16人。子育ての国際協力なので、途中で投げ出すわけにはいきません。広報や学習活動を強化して、多くの人に会員になってもらいたい。若い後継者を見つけるというのも課題です」(以上)。


 わたしも現地のプラティープ財団を訪問し、クロントイのスラム街を歩いて案内してもらいました。人がやっと歩ける狭い通路が迷路のように走り、トタン板1枚隔てただけのバラックの家々が密集していて、四畳半か六畳ほどの室内に数人の家族が暮らしているといいます。どの家庭も貧しいため、子どもたちは小さいうちから働いたりして教育を受ける機会が少ないのです。
 その子どもたちを里親制度という形で日本から教育支援しているのが「くるんてーぷの会」です。わたしもタイにお世話になっている一人として、会に入会させていただいています。少しでもタイの子どもたちの教育支援になるのは、有意味なことだと思っています。関心のある方は以下へお問い合わせください。
 
 「くるんてーぷの会」092(586)4650
 URL: http://funn.npgo.jp/member/krungteep.html
 Email: h-kimiko@mvc.biglobe.ne.jp

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February 02, 2007

№597 NPO慧燈 調寛雅 理事長 逝去

     故 調寛雅 理事長
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 NPO慧燈の調寛雅(しらべ かんが)理事長が、1月30日肺血腫のため、佐賀県基山町の自宅で逝去されました。享年86歳。05年に2度ほど、お会いした時には、お元気でしたし、最近までタイに足を運ばれていたと聞いていましたので、突然の訃報に驚きました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 浄土真宗本願寺派 因通寺の住職でもある調 理事長は、タイを訪問した際に、先の大戦のインパール作戦で亡くなった日本兵の遺骨が現地で放置されたままになっていることを知り、これまで多数の遺骨を収集されてきました。そして、93年にチェンマイ郊外に「追悼之碑」を建立し、追悼しています。

 95年にはNPO慧燈を設立し、タイ北部や東北部の青少年に対して、日本の里親からの奨学金を送る活動を行ってきました。家庭が経済的に苦しく、教育機会に恵まれない数多くのタイの子どもたちを、現在も支援し続けています。
 また、チェンマイ近郊のドイサケットでは大坪・慧燈学園も創立しました。さらに日本語学校も運営するなど、永年にわたって日泰の友好と交流に尽力されてきました。

 調 理事長のご逝去を悼むとともに、NPO慧燈の支援活動が継続し、さらに発展することを祈念しております。合掌

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June 19, 2006

№419 超少子高齢社会とNPOの可能性

   タイ人の親子 チェンマイにて
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 先日、2005年度の日本の出生率が1.25と発表になり、大きなショックを与えています。歯止めがかからない少子化、一体どこまで下がるのか分かりません。高齢化よりも少子化の方が、日本の将来に深刻な影響を与えるのではないでしょうか。

 わたしの指導教官である安立清史先生(九州大学大学院人間環境学研究院助教授)が、「超少子高齢社会とNPOの可能性」について、全労済協会の雑誌に寄稿されています。その概要を紹介します。

 日本は超少子高齢社会であるばかりか、すでに人口減少過程に突入した。この超少子高齢社会日本の課題と非営利組織(NPO)の役割について考えてみたい。

超少子高齢社会の理由
 第一に産業構造の転換、第二に家族構造の変化、そして第三に社会構造と価値規範との乖離とくに性別役割分業をめぐるギャップである。これら三つの要因が複合した結果、現在の日本を超少子高齢社会にしたと思われる。
 これらを要約すると、次のようになる。日本の近代化・産業化・高度経済成長は急激に成し遂げられた。この産業構造と家族構造の大転換は、欧米では一世紀以上かかってゆっくり変化したものなのだが、日本ではあまりに短期間であったために、構造と人間の価値規範との間にずれやねじれが生じ、それがなかなか解消されない。
形は近代化されたのだが心は追いついておらず、政策もうまく機能しない状態といえる。その結果、いくつもの問題が日本社会に残されている。

 安立先生は、2005年アメリカのボストン・カレッジでこれらの戦後日本の社会変動と少子・高齢化過程についての授業を行っています。次は学生たちからの質問のエッセンスをまとめたものです。

問題解決の検討
 第一の質問は、日本社会の多様性を増大させることが、超少子高齢社会のソリューション(解決策)であろうという指摘だと思われる。
 超少子高齢社会でいずれ日本が消滅する、などという議論が現れるのは、米国から見ると信じられないことだ。もっと簡単かつ単純な解決策があるのではないか。移民を基本的には受け入れない政策などに典型的なように、日本社会は一種の閉鎖的共同体を形成している(と米国人には見える)。このグローバル化の時代に社会の多様性(とりわけ人種的な多様性)が増大していないということは先進国ではまことに稀なことなのだ。このことをあらためて痛感する。

 第二は、男女間の性別役割分業の再構築が必要だという示唆だと思われる。
 男が外で(長時間)労働し、女が家庭を守り育児や介護を担うという伝統的な性別役割分業がいまだに根強く残っている先進国は数えるほどしかない。(しかもそれらの国々は、イタリアや韓国をはじめ、ほとんど超少子化に直面している)。伝統的な性別役割分業観は女性の社会進出のバリアである。

 第三は、年齢を基準にした社会制度の問題だ。
 「定年制度」は人口構成が若かった時代の産業社会には好都合だった。次々に若い労働力を企業や組織に導入していくには、年齢に応じて一律に退職させていく仕組みは機能的だった。
 しかし現在、定年制度は深刻な逆機能(むしろシステムの安定を脅かす働き)をもたらし始めている。熟練工の不足という事態だけではない。「定年制度」にはもともと「みんないっしょ」の平等な共同体(会社)を作るという効果とともに「人間をその活動ではなく年齢だけで判断する」という「年齢差別」の双方があった。グローバルな競争に直面した企業はもう「みんないっしょ」の共同体では運営できない。定年制度の持つ逆機能がこれから大きくなっていくだろう。

 このように、米国の学生の質問は、米国社会の経験を踏まえたものであることがよく分かる。もちろん日本が米国と同じ社会制度になる必要も必然もない。しかし現在のような超少子高齢社会を根本的に打開するつもりなら、社会制度の根本を考え直す必要があるだろう。

NPOの可能性
 超少子高齢社会日本の直面する課題は大きく解決は容易ではないが、米国の経験から学ぶことができるように思われる。米国も日本と同じような問題を経験し乗り越えてきたからだ。そのキーワードが「アソシエーション」や「民間非営利組織(NPO)」である。
 例えば現在のような人種の多様性や女性の社会進出を下支えしたのは公民権運動やフェミニズム運動時代からの社会運動やそれが転換した非営利組織であった。定年制度の撤廃につながる活動もAARPなどの高齢者NPOの力が大きかった。社会の危機に直面してそれを乗り越える力や活力が、政府や企業の外側から湧き起こってきたところに米国の強さがあった。

 NPOは政府や行政、企業や一市民にできないことに実験的に取り組むことができる社会的な道具(ツール)だ。公平性や平等性といった行政が縛られる枠を飛び越えることができる。また利潤と無関係に活動できるから企業にできない分野に取り組むこともできる。そして個々の市民にはできない社会的な広がりや効果を生み出せる。欧米の社会改革の多くがNPOによって開拓されてきた。それはNPOの提起した提案や改革を社会が取り込んだからだ。
 「団塊の世代」の高齢化は日本のみならず世界的な課題だ。米国のNPOはこぞってベビーブーマー世代の高齢化を大きなチャンスとみて沸き立っている。

 さて日本だが、超少子高齢社会もここまで危機的な状況になれば、むしろ思い切った改革ができる条件が揃ってきたといえる。ピンチはチャンスである。平時であったら「空想的な」と笑われかねないストレートで率直で大胆な解決策が実現可能になるのではないだろうか。
 「団塊の世代」の高齢化の中から、まずNPOが大胆な実験を始めるべきだ。それがこの超少子高齢社会のあり方を根本的に変えるような動きにつながっていくのではないか。

 少々長くなりましたが、以上が概要です。定年後の「団塊の世代」がNPOの主役となって、超少子高齢化社会の日本を変えていく原動力になってほしいものです。

 

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June 04, 2006

№404 チェンマイに篤志の図書館

 新築の図書館(NPO慧燈のHPより)
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 タイ北部や東北部(イサーン)で山岳民族の教育支援を行っているNPO法人慧燈が、チェンマイで図書館を運営するという記事が、西日本新聞(2006.5.22)に掲載されました。

 福岡市の女性ライオンズクラブ「福岡桜ライオンズクラブ」(西川ともえ会長)が、タイ北部チェンマイに図書館を建設した。同地で青少年の教育支援をしているNPO法人慧燈(調寛雅理事長、佐賀県基山町)が運営する。 5月下旬、同クラブの会員らがチェンマイを訪れ、図書館の落成式に出席した。

 NPO法人慧燈の調理事長が、同クラブでタイでの活動について講演したのがきっかけ。現地のメーラミン・ライオンズクラブと協力し、ライオンズクラブ国際基金や桜ライオンズクラブで集めた資金など、約250万円で建設した。
 11日、チェンマイで地元の人々も参加して落成式が開かれた。西川会長は「第二次世界大戦に出兵した日本兵が病気や飢えによってタイ北部などで倒れた時、タイの人々が手当てや埋葬をしてくれたと聞いた。お礼の気持で支援活動をしてきた。この図書館が有効に活用されタイの人々に喜ばれることを願います」と話した。
 図書館は約45平方メートル。偉人伝など日本語の本約600冊とパソコン7台を備えており、現地で日本語を勉強する学生たちにとって役立ちそうだ。今後はタイ語の本も増やしていく予定。

 このような記事でしたが、NPO慧燈に詳しい話を聞いてみました。
 それによると、図書館はチェンマイ市内から南西へバイクで15分ほど走ったサラピー郡に建設されました。建設資金は全額「福岡桜ライオンズクラブ」のご寄付によるもの。
 NPO慧燈が運営する「チェンマイ慧燈日本語学校」の付属図書館としての利用が予定されている。同日本語学校は、現在チェンマイ郊外にある技術系専門学校「アジアテクノロジー」内にあり、来年には今回新設された図書館の敷地内に移転するのだそうです。 そのため図書館の本格的な利用は日本語学校の移転後ということになりますが、ここで日本語を学ぶタイの学生たちに活用されることが期待されます。

 できれば今年の夏にチェンマイを再訪したいと思っていますので、この図書館も見学したいものです。


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April 11, 2006

№350 バンコク最大のスラム クロントイ

  スラムの幼稚園で遊ぶ園児たち
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 バンコクのクロントイ地区は、スラム街というだけでなく、バンコクの河川港としてのクロントイ港、そして巨大なマーケット・クロントイ市場などの顔も持っています。 このクロントイ地区が、2006年4月3日から朝日新聞の「アジアの街角」という記事で連載されています。編集して紹介します。

 その① 高層ビルが林立する首都の南、チャオプラヤー川とラマ4世通りに囲まれた約7平方キロにあばら家が広がり、約10万人が住む。
 東南アジア最大級のスラムと呼ばれてきたが、区画整理が進み、家並みも道路もきれいになった。大きな火事や麻薬取引は減り、車が増えた。
 だが、根本問題は解決しない。
 20年前、地区の一部が地主の港湾局と結んだ画期的な長期賃貸契約が今年切れ、毎年更新になった。当局には地区全体をビジネスや観光拠点にする青写真があるとされる。タクシン首相一族の株を買い政局混乱の原因となったシンガポール企業が、再開発を手がけるとの話が新聞をにぎわす。交通の便がよい最後の一等地。立ち退きこそが、スラムの住民にとって今も昔も最大の問題だ。

 その② チャオプラヤー川の河口から約30キロ。クロントイ港に接岸した貨物船からコンテナが下ろされ、トラックが激しく行き来する。中心部にある河川港は、バンコク名物、渋滞の一因ともされる。
 クロンは運河。トイはササに似た植物。水田が広がる土地だったが、世界銀行のローンで51年に開港。地方からの出稼ぎ労働者が近くに住みつき、スラムの形成が始まる。東北地方で干ばつや洪水があるたびに人が増えていった。

 その③⑤ 街の中ほどにある「70ライ」地区の道の両側には10を越すボランティア団体の事務所が並ぶ。人呼んで「NGO銀座」。そのひとつがプラティープ財団です(ブログの№169,170,175,176で紹介)。
 「クルー(先生)が帰ってきた」。プラティープ・ウンソンタム・秦さん(53)が顔を見せると子どもたちは大喜びだ。先月まで上院議員だったが、任期が終わり、自ら設立した財団の仕事に当面専念する。
 16歳の時に地域の子どもに読み書きを教え始めて以来、住民からは先生、外部からは天使と呼ばれてきた。「希望のともしび」を意味する財団は、活動紹介ビデオでクロントイを「模範的なスラム」と呼ぶ。環境改善や教育に尽くし、運動の輪を広げてきた結果への誇りだろう。
 政治にかかわり、住居も地域の外に移した。「先生も変わった」という批判もある。
 「人は誰でも変わる。年を取るし、白髪は増えるばかり」と笑う。 「でも私の立場は変わらない。モラル正しく正直に。そして貧しい人とともに」


 発展を続ける大都市バンコクの影の部分を象徴するクロントイです。初めてスラム街を歩いた時はショックを受けました。不衛生な環境に劣悪な住居、知識として知ってはいても、自分の目で見るとその現実を肌で感じることができます。
 しかし、幼稚園で遊ぶ子どもたちが明るかったのでホッとしました。また、子どもたちを支える多くのNGOやボランティアの方たちがいました。 これからもタイと関わりながら、少しでも支援していきたいと思います。

 なおクロントイ市場については、別途紹介させていただきます。

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March 24, 2006

№336 ストリートチルドレンの施設 その2

   子どもたちが暮らす住居
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その2
 ストリートチルドレンの救済活動をしている現地のNGO「VGCD」について、インターネットで調べました。正式名は「The Volunteers Group for Children Developmnt」、タイ名でグリム・アーサー・パッターナー・デックといいます。
 1992年からチェンマイ繁華街でストリートチルドレンの救済のために活動を続けてきた「先生」と呼ばれる中心スタッフが、1997年にVGCDを立ち上げた。このNGO(非政府組織)の主な活動は、ライフスキルトレーニング(生きていくのに必要な力を養うトレーニング)やアートセラピー、麻薬、HIV/AIDS教育などで、子ども達の生活環境の向上のための活動を続けている。
 現在、VGCDはチェンマイ県にドロップインセンターとセーフハウス(子どもの家)、そしてチェンライ県にドロップインセンターとセーフハウス(子どもの家)の計4つの施設を運営している。そのうちのチェンマイ県にあるセーフハウス(子どもの家)を見学させていただいたわけです。

 VGCDの調査によると、チェンマイのストリートチルドレンは、主に少数山岳民族のアカ族の子どもたちです。子どもたちは、タイとミャンマーとの紛争や、生活の苦しさ、貧しさから逃れて仕事を探すために、ミャンマー国境を越えてタイ最北端の町メーサイからチェンマイなどの都市へ出て行くのです。
 都市では公園やバスターミナル、街なかの空き家、市場などで仲間と一緒に暮らしていることが多い。服は1~2ヶ月同じ物を着たままで、たまに公園や公衆トイレなどで洗濯するか、古着を拾ってきたり恵んでもらったりしています。

 ストリートチルドレンになる理由として、
・家が貧しいためにお金を稼がなくては生きていけない
・親が子どもの面倒を十分にみない
・家庭内暴力に耐え切れず家をでる
・親を亡くし孤児となった。引き取り手の親戚から虐待をうけた
・紛争などで生活の場を追いやられた などがあるそうです。

 このようなVGCDの救済活動に対して、在チェンマイの日本人の学生やボランティアが、週末「子どもの家」に出かけて支援活動をしています。また、大阪府箕面市の任意団体「カルナーの会」が、里親制度をはじめ「子どもの家」の運営支援を行っています。
 http://www.kdn.ne.jp/~karuna/

 さて、日本人シニアのロングステイ希望地として人気が高いチェンマイです。ナイトバザールを歩くと、花売りをする子どもたちの姿を目にすることもあるでしょう。華やかなロングステイの滞在地として注目される裏側には、もうひとつのチェンマイの現実もあるわけです。
 ゴルフをはじめ、いろいろな滞在目的があるでしょう。しかし、チェンマイに生活し現地社会に少なからずお世話になっているのですから、この現実を知って何らかの形で支援をする、そのようなロングステイがあってもいいのではないでしょうか。
 

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March 23, 2006

№335 ストリートチルドレンの施設

    遊具もある「子どもの家」
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 チェンマイ県サンカンペーン郡メーファーヘム村にストリートチルドレンの保護施設「子どもの家」があります。現地のNGO「VGCD」 (The Volunteers Group for Children Developmnt)が、運営している施設です。
 チェンマイ市内から東へ車で約50分、牧場や田んぼが広がる田園地帯を走り、ガイドのソンブーンさんに村人たちに何度も道を尋ねてもらい、やっとのことでたどりつきました。気をつけていないと通り過ぎてしまいそうな場所です。
 
 未舗装の田舎道からの入り口付近には、パパイヤの木が数本と食料用の野菜畑があって、その奥が施設の敷地です。ロンガンの木でしょうか、木々に囲まれた敷地に竹編みの壁に茅葺や波型スレート屋根の粗末な高床住居が点在してます。それに事務所とは名ばかりの小さな建物と屋外の食堂、ブランコと滑り台などがあり、たくさんの洗濯物も干してあるのが見えます。これまでに見た施設と比べると、かなり生活環境が劣っていて、少し胸が締めつけられます。

 子どもたちは学校に行っているらしく誰もいません。事前に連絡が取れずにアポイントなしで訪問したのですが、
ほどなくスタッフのオーさんが戻ってきてくれて、見学させてもらえることになりました。オーさんはまだ若い方で20代後半でしょうか、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えた奥さんと2人だけで、子どもたちの世話をしているそうです。
 
 ここで暮らしている子どもたちは、7歳から16歳までの17人。ほとんどが小学生ですが、高校生が1人。このうち7人はIDカードを持っていますが、他の10人は持っていないとのこと。男女別・年齢別に4棟の住居で共同生活を送っています。建物の内部は狭く雑然としていますが、アイドルのポスターなども貼ってあり子どもらしさがうかがえます。
 どの子どもも両親がいません。チェンマイで麻薬に染まったり、児童買春などしていたのをVGCDのスタッフが保護した子どもたちです。はじめは、市内にある子どもの緊急避難を目的とした「ドロップインセンター」に収容されます。そして、ストリートの生活から抜け出すことを希望した子どもたちが、この「子どもの家」にやってくるのです。

 「子どもの家」では、共同生活を通して協力したり助け合ったり、人を思いやる心を学んでいきます。また、ライフスキルトレーニングだけでなくカウンセリングなどのメンタルケアも行っているそうです。子どもたちが、いつか一般のタイ社会に戻り、安全で幸せに暮らしていく技術を身につけるための活動が行われているのです。

 最後に、心ばかりの寄付をして「子どもの家」を後にしました。
 
 つづく

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January 15, 2006

№268 NPOは退職後の新舞台

     バンパイン宮殿にて
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 「定年後、何をするか」は大きな課題です。そのひとつの提案としてNPOという記事が、1月10日の西日本新聞に載りました。

 2007年に定年期を迎える「団塊の世代」の退職後の舞台として、NPO法人が改めて注目されている。「行政の下請け」や「高齢者同士の交流」に傾きがちだった旧来型の地域団体とは違い、それぞれの人たちの興味や関心、培った技能に応じ、自由で主体的に活動できるのが魅力のようだ。
 社会貢献を目指したり、第二の人生を楽しんだり。シニア層の間では、すでにさまざまな活動が広がっている。

 NPO法人は、福祉や地域づくり、子育て支援、環境、国際協力など多くの分野で活動している。1998年に「特定非営利活動促進法」が施行されて以来増え続け、2005年11月末で24000件を超えている。
 営利主義から離れ、行政や企業だけでは行き届かなかったり、手が出にくかったりする分野で社会貢献するNPO法人も少なくない。

 このように活動範囲を広げているNPO法人だが、退職後、すぐにNPO法人を設立したり、活動に飛び込むのは難しい。ある程度の助走期間もいるだろう。
 福岡市のNPO・ボランティア交流センター「あすみん」は、「ボランティアをやってみたいけど、どうすればよいのか分からないシニアが多い。まずは自分が本当に興味があることは何か、役に立つ得意分野は何か、見つめ直すことから始めてはどうか。 その上で、自分に合ったNPO法人などに所属するのが無理がない形だろう」という。

 NPOの活動に詳しい安立清史・九大助教授(わたしの指導教官です)は、「今後、超少子化社会が到来する可能性がある。 介護や育児、地域の安全、子育てなど全般で一層ヒューマンサービスが必要となる。余力がない企業に代わり、補完役としてNPOの役割は増す。 21世紀の半ばには、NPOは会社や行政に匹敵する存在になるだろう」と指摘。
 「NPOの主な担い手は、中高年の女性になるのではないか。地域の問題を生活者の目線で見つめており、女性の起業も増えてくるだろう。 会社に長く勤めた男性は、染み付いた企業の論理や仕組みから、どう自由になり、行動の大転換を図るか。NPOは多様な価値観を学び、次の準備をする場にもなる」と助言している。

 わたしが考える一般的なロングステイとは、永住志向型のロングステイではなく、日本に軸足を置きながら海外とを往き来するスタイルです。 この場合、日本での生活が基盤となるので、自分が住んでいる社会、つまり地域社会との関係が重要になってきます。住み慣れた地域社会との関係をどのように構築するのかが、とりわけ定年後の男性にとって大きな課題になります
 その受け皿となるものとして期待されるのが、NPO法人ではないでしょうか。自分の興味があること、社会に役立てられる知識や技能をもう一度振り返ってみましょう。 そして、どのようなNPO法人があるのか、調べることから始めてはいかがでしょうか。

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November 13, 2005

№208 タイで奨学金贈呈

     お元気な調理事長
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 今年7月に佐賀県基山町にある浄土真宗本願寺派 因通寺の住職で、NPO「慧燈(えとう)」の調 寛雅(しらべ かんが)理事長(85歳)にお会いした。また、8月にはチェンマイ郊外のドイサケット市にある「大坪・慧燈教育学園」も見学させていただきました。
 このタイで恵まれない少数民族の子どもたちの教育支援をしているNPO慧燈の記事が、11月9日の西日本新聞に掲載されましたので紹介したいと思います。

 NPO「慧燈」のメンバーが、7日タイ東北部のウドンタニ県を訪れ、奨学金を地元の中学生や高校生に手渡した。仏教系のNPO「慧燈」は、タイの貧困家庭の子どもたちを対象に、教育費の仕送りなど教育支援活動を続けている。
 7日、ウドンタニ県ノーンスーン郡の中学校を訪れた一行は、会員からの寄付で集めた奨学金28万バーツ(約84万円)を子どもたちに渡した。 調理事長によると、奨学金は高校生50人と中学生33人分。中学校で行われた奨学金伝達式で、調理事長は「戦争のない世界にするために、ともに手を携えて頑張りましょう」と挨拶。 地元の教育関係者も出席し「タイの将来を背負う人材を育てることができる」と感謝を表明したという。(バンコク発)

 わたしが訪問したのは、タイ北部に建設中の寄宿舎付きの学園でしたが、NPO「慧燈」は、タイ東北部でも教育支援を行っているのです。 10年以上に亘る第二次世界大戦の遺骨収集活動がきっかけになり、タイに恩返しする意味で、タイの未来を担う子どもたちの就学を支援することにしたといいます。
 12月には、ドイサケットの学園を再訪したいと思いますし、今後とも微力ながら協力していきたいと考えています。

 NPO「慧燈」の活動に関心がある方は、一度ホームページをご覧になってください。

「特定非営利法人 NPO慧燈」
ホームページ  http://ww7.tiki.ne.jp/~intuji
Eメール  intuji@mx7.tiki.ne.jp

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October 12, 2005

№176 国際部長のラダパンさん

      ラダパンさん
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 スラム街から戻り、国際部長のラダパンさんのお話を伺う。流暢な日本語で、ほとんど通訳なしで会話ができた。 ラダパンさん自身も13歳の時、仕事を求めて地方からバンコクにやってきた。そこで同財団の事務長プラティ-プさんに出会って大学まで卒業したという。

 「プラティープ財団の大きな活動目的はタイの人材育成です。財団が最も力を入れている活動は、やはり教育里親制度です。現在、毎年2000人を超える幼稚園以上の子どもに奨学金を支給する教育支援を行なっています。 里親制度は、世界各国の里親や支援団体からの教育資金で運営されており、タイ国からの支援はほとんどありません」
 奨学金支給の審査は、幼稚園入園時に家庭訪問し実情を調査した上で判断している。さらに進級するにつれて成績も加味している。そして本人が希望すれば、高校・大学まで進学することができます。
 「子どもたちも里親から支援されているという意識はあります。奨学金もらえることはステイタスでもあるが、スラムという劣悪な環境のなかでもよい影響を与えていると思う」

 「今後は、地域の社会福祉、教育システムの整備、具体的には財団が運営している幼稚園の公認、そして高齢者福祉の分野に力を入れていきたい」という。 これらの活動の推進には、地域リーダーの育成も欠かせない課題である。
 現在、80数名のスタッフやボランティアが財団の活動を支えている。各責任者・担当が、それぞれの活動プロジェクトを推進・運営している。
 財団に必要な人材として、シニアをはじめボランティアを受け容れることは可能であるという。それには、まずタイ語が話せることが第一条件である。それぞれの活動やコミュニケーションには、タイ語ができることは欠かせない。
 第二に、各プロジェクトに対する専門的技能や知識が必要なことである。単なるマンパワーよりもプロジェクトの運営やリーダーシップをとれるような人材が欲しいという。

 最後にラダパンさんは、今後の課題として「スラムの問題は、国の政策の誤りです。それが少しでも改善の方向へ向かうよう活動しています。それには、若い人たちの地域への意識や両親への敬老の気持ちが必要なんです」
と話された。
 少しでもスラムの現状と子どもたちの教育支援に対して理解してくれる個人や団体が増えることを願いながら、財団の事務所を後にした。

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October 11, 2005

№175 スラム街を歩く

    クロントイ・スラムを歩く
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 クロントイは、バンコク最大のスラム街で、4㎞四方のエリアに約10万人もの人たちが暮らしている。プラティープ財団のモモリン副部長さんから、スラムの中を案内していただく。 初めてスラム街を歩く。

 道が張り巡らされているが車は通れない、やっと人がすれ違うことができるくらいで1mほどの幅しかない。道の端に太さ7,8センチの水道管が地上にむき出しで這わせてある。 水道は来ているし、電気もちゃんとしたメーターが付いているので正規に配線されているようである。道路はコンクリートで固められているが、ゴミや所々に犬のフンが落ちているので注意して歩く。
 住宅は高床になっているところが多く、床下には雨水が常時溜まって淀んでいる。ゴミなどが浮いていて、ボウフラが発生するのではないかと思われるくらい不衛生である。
 モモリンさんの後について歩くが、同じような道が迷路のようにずっと続き、どこまで歩いても同じ路地裏の風景なので、報告感覚も失せて迷ってしまいそうだ。

 トタン屋根の住宅が密集していて、外から覗くとどの家も3畳から4畳半くらいしかないようだ。家と家を仕切るのは、薄い壁1枚だけで、その区画の住宅はすべてつながっているといってもいいくらいだ。 どの家の内部もうす暗く、狭い中に大家族が暮らしているという。 室内にはテレビに冷蔵庫、屋外には洗濯機が置いてあり、家電製品は予想以上に普及している。家々の貧しい雰囲気とはアンバランスな印象を受ける。
 昼間の時間帯ということもあり、年寄りや女性などを見かけるくらいで、多くの住民は肉体労働者として働きに出ている。

 ところどころに保育園があり、元気な幼児たちの声が聞こえてくる。屋外の運動場がある訳でなく、室内でたくさんの子どもたちが遊んでいる様子が見える。これらの保育園にも財団は支援しているという。
 最後に財団が運営している幼稚園を見学する。スラムの3歳から5歳までの幼児230人が通ってくる。ここは屋外の遊び場もあり日本の幼稚園と変わりない。2階建てで1階には食堂がありお昼には給食が出る。 給食代やおやつにひとり1日13バーツかかるが、大半は財団からの支援で賄われている。

 ここに近畿大学の女子学生2人が、夏休みを利用して子どもたちの世話をするインターンシップに来ていた。まだ来たばかりということだったが、明るくいきいきとした彼女たちの目と笑顔に、日本の若い子も捨てたものじゃないなと思うと、スラム街を歩いて欝積した心が少し軽くなった。

 つづく

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October 06, 2005

№170 スラム街のNGO その2

プーケットで被災した子どもの津波の絵
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その2

プラティープ財団の活動内容
 バンコク最大のスラム街、クロントイ地区での財団の活動は、スラムの子どもたちの教育を通した支援活動です。財団では22ものプロジェクトを行なっていますが、5つの活動分野に分類されます。
①教育分野 ②健康分野 ③社会福祉分野 ④人材育成 ⑤人命・財産の防止対策 の分野です。
 教育分野では、「教育里親制度」、幼稚園の運営、難聴児教育、おはなしキャラバンなどがあり、とりわけ「教育里親制度」はその活動の代表的なものです。

「教育里親制度」について
 スラムには、経済的な理由だけで教育を受ける機会を失い、将来の可能性まで摘み取られる子どもたちが大勢います。教育里親制度では、こうした子どもたちの教育費を支援するスポンサー(支援者)を募り、勉強したい子どもたちの希望に応じて高校や大学の進学を支援しています。 現在、毎年2000人以上もの子どもたちに教育奨学金を支給しているそうです。
その他の活動
 健康分野の「給食プログラム」にも力を入れています。栄養不足の幼稚園の子どもたちに、給食のために調理施設を整備して、栄養バランスのとれた食事を提供しています。 また、他の幼稚園の栄養指導や豆乳の配布を行なって、家庭での食事の重要性に関心を持ってもらうのに役立っているそうです。
 ユニークな活動としては、 「生き直しの学校」のプロジェクトがあります。「生き直しの学校」は、家庭内暴力や親の愛情不足、スラムの社会的圧力から自信を失い、麻薬や犯罪に逃げ場を求めてしまった青少年たちを更生させる施設です。
 青少年はタイ南部・チュンポン県に、さらに深刻な子どもや低年齢児はカンチャナブリに学校を開いて、豊かな自然と家庭的な雰囲気のもとで過ごしているそうです。

 次週につづく

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October 05, 2005

№169 スラム街のNGO

    狭い通路のスラム街
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 バンコク最大のスラム街・クロントイで教育支援事業をしているNGO「ドゥアン・プラティープ財団」を訪問しました。 同財団の事務局長を務める「プラティープ・ウンソンタム・秦」さんが、1978年に財団を設立しました。
 
 プラティープさんは、1952年クロントイ地区のスラムに生まれ、6歳の頃から路上で物売りとして働き始めました。
 彼女は「教育こそが生活を大きく変える原動力になりうる」と確信し、1968年(当時16歳)スラムの子どもたちに少しでも学ぶ機会を持ってもらおうと、自宅の一室に「1日1バーツ学校」(託児所)を開設しました。やがて「1日1バーツ学校」は学びに来る子どもたちの姿を通して、スラムの抱える社会問題を浮き彫りにし、皆が協力して解決すべき問題のひとつとして人びとに意識させるきっかけとなりました。
 1978年には“アジアのノーベル賞”と呼ばれる「ラモン・マグサイサイ賞」を受賞しました。この時の賞金2万ドルを投じて、「ドゥアン・プラティープ財団」を創立し、教育を活動の柱としてスラムの人びとの生活改善を目指しています。

スラムの発生原因
 タイのスラムは、急激な国の近代化、工業化政策のひずみによって生じたとされています。バンコク周辺には多くの工場が進出し、表面的には急速な経済発展を遂げてきました。 しかし、農村部ではその経済的な繁栄とは裏腹に、工業化の中で取り残されてしまい、さらに苦しい生活を余儀なくされている人たちが多くいます。
 農民たちは生活の糧や職を求めて、都市へ流入してくるようになりました。ちょうど安価な労働力を必要としていたバンコクの経済は、農村から移入してきた労働者の住宅対策を講じることもなく、ただ無造作に彼らを受け容れてしまいました。その結果、バンコク市内には1800ヶ所ものスラムが形成され、300万人以上もの人びとがそこに住むことになってしまったのです。
                                             (プラティープ財団のパンフレットより)
 つづく

「ドゥアン・プラティープ財団」のHP
http://homepage3.nifty.com/noshiros/puratape1.html

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September 29, 2005

№163 名取さんの講演会を聴いて その2

     チェンマイの蘭園にて
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その2
 名取さんは、1946年生まれの59歳。中国・南京に生まれる。東京に引き上げて慶応高校を中退し、単身でドイツに留学する。日本とヨーロッパで数多くの仕事を経験し転居は数知れず、離婚も2回経験する。
「タイにやってくるまでは、自分のために好き勝手に生きた50年でした」と振り返ります。
 そんな名取さんが、初めてタイを訪れた51歳の時人生が変わりました。「子どもたちが夢を語るいきいきとした顔や年上を敬う姿に心が動きました。日本が失った“本当の豊かさ”を感じました。 その一方で、両親をエイズで失った子どもたちが貧困や差別に苦しむ姿を見て、それまでボランティアには全く縁がなかったのに何かやらなきゃと思ったんです」

 「タイで心地よいのは、自分が小さかった頃の“純粋な”子どもたちがいることです。初めてバーンロムサイにやってきた子どもは、貧しさや愛情を足りないために話もできないので、抱きしめてあげてスキンシップを大切にしています。ほめること、思いきりやらせることで子どもは自信を持ち、育つのです」
 子どもたちが成長し自立した時、“自分の好きなことがやれる、好きな仕事ができること”が、名取さんの夢だそうです。 そのためには「自分を好きになれる」ように子どもたちを育てています。

 「人が生きて死んでいくことと、限りある命をどう生きるか、考えることの意味を改めて教えられました。エイズ孤児の子どもたちと出会ったことで、本当の家族を初めて見つけたのかもしれません。 “2回の人生”を生きられると感謝しています」 

 半生を自由に生きてきた名取さんが、2回目の人生を生きられるようになった理由は、名取さんが特別の人だからではありません。ご自身もそうおっしゃいます。 しかし、現在の名取さんの活動を聞いたり見たりすると、立派な方で自分にはとても無理だと思うかもしれません。 
 たまたま参加者から「名取さんのような生き方をしたいが、なかなかできない。よいアドバイスを」という質問がありました。 これに対して、名取さんは“最初の一歩が大切”だと言います。何でもいいから身近な自分ができることから始めてみることが重要だと答えてくれました。 ここにこそ、人生の生き方のヒントや本質があるように思います。

 名取さんもまた「行動する人」だと実感した講演会でした。

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September 28, 2005

№162 名取さんの講演会を聴いて

 大きな菩提樹の木 チェンライにて
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 名取美和さんは、チェンマイにあるHIV(エイズ)感染施設「バーンロムサイ」の代表です。
8月下旬に福岡で名取さんの講演会があったので、その話からタイでの生活、活動を紹介したいと思います。
また、9月20日の西日本新聞に名取さんのインタビュー記事が出ていましたので、これも参考にしています。

  「バーンロムサイ」とは、 “ガジュマルの木の下の家”という意味です。タイでは、ガジュマルのような大きな木には神様が宿ると信じられていて、子どもたちが安心して暮らせるようにとの思いから名付けられています。
 1999年に設立された「バーンロムサイ」は、HIVに母子感染した孤児たちの生活施設です。ここは施設でも孤児院でもなく、子どもたちの“実家”であり、「大きな家族として生きる」ことが、名取さんの理念なのです。 2005年現在、2歳から14歳まで30人の子どもたちが、主に日本からの企業の支援や個人の寄付などを受けて生活しています。

 子どもたちは、スタッフやボランティアと自然の中でのびのびと遊んだり絵を描いたりして暮らしています。HIV孤児というとかわいそうなイメージを持ちがちですが、明るく元気に生活しています。 その一方で、毎日発症を抑える薬を飲まなければなりません。これまでに10人の子どもがエイズを発症し、幼い命が奪われましたが、現在では抗HIV療法が進みこの治療を続けていけば、元気に生活していけるようになっています。 それでも薬は一生飲み続けないといけないのです。

 子どもたちが成長し、将来の自立を目指して、いろいろなことを学んでいます。これまで200人近い日本からのボランティアの協力も得て、積極的に教育に取り組んでいるそうです。
 夏休みを利用したお寺での修行、日本語や英語教室、裁縫、絵画、陶芸、コンピューター教室など、子どもたちの個性を大切にしながら育て、自立できるように支援しています。

バーンロムサイのHP
http://www.banromsai.jp/

 つづく

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September 13, 2005

№147 「大坪・彗燈教育学園」の訪問記 その2

    学園内のチークの林
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その2
 スタッフの小西さんにお話しを伺い、学園内を案内していただきました。小西さんは、長崎出身で地元でとび職として働いていたのですが、作業中に転落して大ケガをして心機一転してオーストラリアへ。 シドニーで日本語教師の資格を取得した後、3年前にバンコクへ。NPO彗燈が、学園のスタッフを募集していることを知って応募する。そして、この5月から学生寮に住み込んで働き始めたそうです。

 将来のタイを担う人材を育成したり、日系企業への就職を支援することが、学園の目的ということです。
子どもたちは、中学に入学する13歳で入寮し、高校を卒業するまでここで寮生活を送ることになります。中学校に通いながら学園で日本語、工業、農業、果樹栽培などを学んでいます。
 工業指導では旋盤や溶接技術を学び、農業では空心菜を敷地内の畑で育てていました。将来は近くの田んぼを借りて日本米を作ったり、お茶の栽培をする計画があるそうです。 また、敷地内の果樹園でロンガンなどの果樹を里親さんの木として、育てたいそうです。
 現地種の芝を張り、畑を耕し、バナナやロンガンの果樹を育て、敷地内は少しずつ整備されつつあります。高級家具の材料となるチークが木陰をつくり、緑の静かな教育環境を作っています。

 わたしも7月、佐賀県基山町のあるNPO彗燈を訪問した際に、里親になりました。一口1万円の年会費です。今回ドイサケットの学園を見学させていただいて、6年間しっかりと支援しようとの思いが一層強くなりました。
里子はまだ決まっていませんが、わたしの希望をお願いしてきました。それは、 “将来介護士や看護師を目指す女の子”というお願いです。
 近い将来、タイをはじめアジアの介護士や看護師が、日本の高齢者の介護や看護のお世話をすることになるでしょう。その時里子となった子が、日本にやって来てわたしの介護の面倒を見てくれるかもしれません。楽しみなことです。

 学園の課題は、その運営費にあります。年間の運営費が、60万バーツ(約180万円)掛かるということです。最初の3年間は、建設費の寄付をされた大坪氏が支出されますが、その後の運営費の確保が大きな課題となっています。 それには、学園のことをもっと知ってもらい、日本の里親の協力を仰がなければなりません。
 また、入学してくる生徒数が増えると、学園の運営や教育指導ができる人材も必要になってくるでしょう。有給のスタッフはそうそう増やせないでしょうから、ボランティアに頼る場面が増えると思います。 子どもたちに教えられる知識や技術、豊かな経験を持つ日本のシニア、また国際貢献をしたいという日本の若者が、お役に立てるのではないかと思われます。
 NPO彗燈の調理事長は、 「卒園生が日タイ両国の架け橋となって、国民同士の交流がさらに進むことを期待しています」とおっしゃっています。

 ロングステイをして何かボランティアをしたい、タイの人たちと交流がしたい、そのような方は、一度訪問してみてはいかがでしょう。

「NPO彗燈」のホームページ
  http://ww7.tiki.ne.jp/~intuji/

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September 12, 2005

№146  「大坪・彗燈教育学園」の訪問記

     新築の寄宿舎
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  「大坪・彗燈教育学園」は、チェンマイから車で40分ほど走ったドイサケット市郊外にあります。あらかじめNPO彗燈の竹ノ内さんからいただいた住所と地図を頼りに、学園を目指したのですが、なかなか分かりませんでした。何度も地元の人に道を尋ねながら、ようやくたどり着きました。途中看板や案内板がなく、道も未舗装になっていくにつれ心細くなった頃に、学園が見つかりました。
 周辺には、大きな池を中心に整備され、休日には家族連れで賑わいそうな公園があり、のどかな農山村といった環境に囲まれている。 

 この「大坪・彗燈教育学園」は、日本の「NPO彗燈」がタイの少数民族の子どもたちの教育支援を目的として、建設・運営しているものです。 学園の名前にもなっている福岡県八女市出身の医師大坪修氏が、寄付された建設資金の約半分の1000万円をもとに建設されています。
 そして、日本の里親の教育支援金で、里子となる子どもたちの教育費などが賄われています。
 
 3万坪の敷地に寄宿舎やオープンの食堂、そして教室など5棟の建物が、チーク林の中に点在しています。学園の敷地は、元チェンマイ大学教授のタイリンさんが所有する広大な原野を3年間かけて切り拓いたそうです。
学園は、この11月が正式な開校になっていて、まだ外壁の塗装など細かな仕上げ工事が、スタッフやボランティアの手で進められています。
 それでも、既に7名の中学生(男子1名、女子6名の13歳の子どもたち)が寄宿舎で生活をしながら、最寄の公立中学校に通っているそうです。この子どもたちは、少数民族や経済的に恵まれない子どもたちです。 初年度は7名でスタートしましたが、50名まで入園可能だということです。来年はスマトラ沖地震の津波で被災したプーケットやクラビの子どもを受け入れるといいます。
 現在スタッフは、タイリン先生と奥さんのチョワンチョンさん、日本人の小西誠さん(32歳)ともうひとり含めた4名です。それに日本に留学予定の2人のタイの若者が、ボランティアとして働いていました。
 
 

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August 03, 2005

№108 ドゥアン・プラティープ財団

     アユタヤにて
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 「ドゥアン・プラティープ財団」は、バンコク・クロントイ地区のスラム街で活動するNGOである。その概観を同財団のパンフレットより紹介したいと思います。

「ドゥアン・プラティープ財団」の設立
 プラティープ・ウンソンタム・秦(後に日本人の秦氏と結婚)さんは、1952年クロントイ地区のスラムに生まれ、6歳の頃から路上で物売りとして働き始めました。
 1968年(当時16歳)、「教育こそが生活を大きく変える原動力」との思いから、自宅で「1日1バーツ学校」(託児所)を開設しました。 やがて「1日1バーツ学校」にやってくる子どもを通して、スラムが抱える社会問題を浮き彫りにし、その問題に取り組んできた。
 1978年には「アジアのノーベル賞」と呼ばれるラモン・マグサイサイ賞を受賞し、その賞金を基にスラムの人びとの生活改善を目指す「ドゥアン・プラティープ財団」を設立した。


同財団の活動内容
 ドゥアン・プラティープ財団は、5つの活動分野で22のプロジェクトについて活動を行なっています。
① 教育分野
  経済的な理由だけで教育をうける機会を失っている子どもたちを対象にした「教育里親制度」がある。こうした子どもたちの教育費を支援するスポンサーを募り、就学希望の子どもたちの高校・大学の進学を支援しています。
 その他にも、難聴児教育、幼稚園の運営、童話などの読み聞かせをする「おはなしキャラバン」などがある。

② 健康分野
 給食サービスを提供するための給食施設を整え、栄養不足の子どもたちへの「給食プログラム」がある。また、エイズ感染者とその家族への精神的援助を中心とした「エイズプロジェクト」活動も行なっている。

③ 社会福祉
 スラムの高齢者への食事、読経、体操などの活動、障害者には障害者手帳の交付や松葉杖や車イスを支給している。
 また、 「クロントイ生活協同組合」を設立し、スラム住民に対する組合員の積み立て金による借金対策と職業確保の活動を行なっている。

④ 人材育成
 家庭内暴力や親の愛情不足、スラムの社会的圧力から自信を失い、麻薬や犯罪を逃げ道を求めてしまった青少年たちを立ち直せる「生き直しの学校」プロジェクトがある。

⑤ 人命・財産の防止対策
 スラム街で多発する火災の予防対策として、4台の中古消防車を贈呈し消防隊が結成されている。

 このように、プラティープ・ウンソンタム・秦さんを中心に活動している「ドゥアン・プラティープ財団」。今回のバンコク滞在中に、訪問する予定です。

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July 29, 2005

№103 チェンマイの「大坪・彗燈教育学園」

建設中の学園(NPO彗燈のHPより)